夏目漱石は「虞美人草」で、登場人物二人の会話でこう言わせている。
「…雅号なんざどうだって、モノさえたしかなら構わない主義だ」
「そんな確かなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」
中身なんて誰もわからないのだから目印が必要なんだと。
名は体を表すというが、名前は親が付けたものだ。そのとおりになる子供も多くはないはずだ。しかし親が子供に託した想いが名前になるのなら、名前にふさわしい躾や教育をほどこすかも知れない。そうなれば名前にある程度の説得力が芽生えても不思議ではないだろう。そういう意味でボクは、子供の名前から親の性格や心情を見て取れると思っている。 “キラキラネームは善か悪か” の続きを読む