もしもあの時…

”もしもあの時、あの分かれ道で選び直せるなら”というような歌を聞いたことがあるだろうか?
「もしあの時にあなたを選んでいたら私の人生はどうなっていただろう」というようなことを含めて、自分が選ばなかったことを仮にやっていたとしたらと考えることである。
もしあの時に~しなかったらどうなっていたのか、を考えることはある意味ナンセンスである。なぜなら選んだことは選んだことであり、選ばなかったことは選ばなかったことなのだから。

何を言っているのかわからないと思うが、つまり、選んだコトと選ばなかったコトをまったく同じ条件で比較することはできないのだ。

ある実験動物に薬を投与した時の効果を検証するとしよう。2つの個体の一つには薬を与え、もう一つには与えない。そこには何らかの違いが出るかもしれない。しかしその2匹の実験動物は同じではない。生まれも違えば育ちも違う。体力だって抵抗力にだってわずかかも知れないが違いがあるだろう。その2つの間に出た違いの原因が何なのかを特定することはできない。そのために統計学的に有効であろう十分に多くの個体に対してグループ分けをして条件を変えて「たぶんこの薬は効いている」という判断をする。そうすることで実験結果の正当性をある程度担保することができる程度なのだ。

■反事実は証明できない
”あの時の分かれ道で違う判断をして生き直す”というようなことを「反事実」という。自分が選ばなかった選択肢を想像で選んでその結果の違いを比べるのだ。先にお話したように”反事実”は証明できない。タイムマシンが出来て”もう一度やり直してみる”ことができるようになるまでは。だがもしやり直すことができるようになったとしても、元々選んでいた選択肢がもたらした結果と、誰が比べるのだろうか?
パラドックスである。

■機会費用と利潤
サラリーマンをやっている人がある日会社を辞めてコンビニ経営を始めたとしよう。分かれ道だ。この際単純化するが、彼にはサラリーマンを続けるという選択肢とコンビニを経営するという選択肢があった。この際だからコンビニの開業資金なども考えないことにしよう。

彼が選んだのはコンビニを経営するという選択肢だ。彼が始めたコンビニは経営も順調で1年後には税引後に500万円の純利益が得られたとしよう。彼は500万円得をしたのだろうか?
経済学では「利益」や「得」という言葉の曖昧さを取り除くために「利潤」という言葉を使う。
ここで間違えてはいけないのが、コンビニを始めて彼が得たものは(コンビニ経営から得られた利益)と(サラリーマンを辞めたことによって得られなかった利益=損失)である。(サラリーマンを辞めたことによって得られなかった利益=損失)を「機会費用」という。彼がサラリーマン時代に手取りで600万円の年収を得ていたとすると、彼がサラリーマンを辞めたことによって得られなかった利益=損失は600万円だ。一方でコンビニ経営から得られた利益は500万円だから(500万円+(▲600万円)=▲100万円)の利潤を得たことになる。100万円の損失だったことになる。もちろんこれは最初の1年だけの話でその先にコンビニ経営がどうなるのかはわからない。しかし、いいことだけに目を向けていると足元が不安定になっていることに気づかないことがある。

■人は都合の悪いことを見ようとしない
とかく人は不都合なことを見ないようにする習性がある。いい意味ではポジティブだ。しかし直感だけのポジティブにメリットはない。都合の悪いことを見ないでいい事だけが起こると考えるのはあまり賢明ではない。どの程度の不都合がどの程度の確率で起こるのかを知っておくことはいつの時代でも大切なことである。前に進むためには平坦な道だけを選んで進む訳にはいかない。だが起こる前に「もしこの道を選んだなら」と想像し予想することはできる。僅かな変化を見逃さずにこれから起こるはずの好都合と不都合を見渡して進む道を選んで行こうではないか。選び直せる”あの時”はもうやって来ないのだから。