ボクの物理学モテ修行

空を飛ぶジェット機の中では地上より時間の進み方が遅い、と言われたらあなたは信じられるだろうか?
それを検証するため、非常に正確な原子時計(1億年に1秒狂うといわれている)をジェット機に1台、地上に1台設置してジェット機で飛び回った。するとジェット機に乗せた時計は地上のものより僅かに遅れたのだ。それは原子時計の誤差の範囲を大きく超えて…
これはあのA・アインシュタイン博士の提唱した特殊相対論で述べられている基本的な原理によるものである。

思春期の中高生男子の頭の中は99%が「いかに女の子にモテるか」ということで満たされている。モテるためなら野球だってやるしサッカーだってバスケだってギターだって何だってやる。それが中高生男子のすべてだった。当時、高校生だったそんなボクはその話に猛烈に興奮した。もちろん優先順位は女の子より下だったが。
ボクはそれまで天体観測も好きだった。何気なく見上げている夜空を家にあった小さな折りたたみ望遠鏡で覗いてみた。そこに天文雑誌に載っているような星雲を見つけた時も感動した。普段からアタリマエのようにあったはずなのに気づいていなかっただけなのだ。将来は天文学者になる、と決心した。高校に入ってから天文学科のある大学を探した。日本で一つだけ見つかった。東京にある、日本で最も合格するのが難しいと言われている国立大学だった。気弱な少年だったボクはそれを知った瞬間に天文学者を諦めた。

当時のボクに相対論の基本的な理屈はわからなかった。やっと学校で微分・積分を習い始めた頃である。微分方程式に頭を悩ませるようになるのはもっと後のことだ。でも相対論の仮想実験(頭の中だけで空想してどうなるかを考えてみること)の話を読んでいると、壮大なスケールの天文学と同じように原子や分子・素粒子といった世界も小さな宇宙だということが分かってきた。そうだ、物理学科なら日本中の大学にたくさんある。よし、物理をやろう!と思った。
高校生が学校で習う物理は力学がほとんどだ。ニュートンの運動の法則やエネルギー保存の法則など、同じクラスの女の子は「全然わからない」と言ってボクに訊きに来ることもあった。そんなときにはあらん限りの助平心を出して説明するのだが「そんなことが好きなんて、変なヤツ」と思われただけだった。

大学に入ってボクがやったのは量子力学という分野だった。量子とは原子を作っている原子核、陽子、電子、中性子、光子なんかのとても小さい、目に見えない粒の挙動を研究する分野だ。量子の世界は真空の世界だ。だって空気だって分子からできている。空気抵抗というのは空気の分子に物がぶつかって発生するものだからだ。真空の世界だから抵抗がない。止まっているものは止まり続け、動いているものは動き続ける。者同士がぶつかったりする相互作用はそもそもこんな小さな粒同士が力を及ぼし合い全体が膨大になることで目に見えるようになる。

ところで相対論は物理学の基本なので、大学の一般教養から身近な存在だ。特殊相対論の有名な公式に

e=mc^2(cは光の速さ、^2は自乗ということ)

というのがあるのはご存じの方も多いだろう。eはエネルギー、mは質量のことだから、ある物体はその質量に光速度の自乗を掛けただけのエネルギーを持っているということだ。例えば質量が1kgの石を全部エネルギーにしてしまうと

e(ジュール)=1(kg)×[1兆800億(m/s)]^2=11664京(kg・m^2/s^2)

ということになる。1ジュールは1/4kcalくらいだから3,000京kcalくらいのエネルギーになる。だいたい広島型原爆200億個分のエネルギーだ。1kgの石を全部エネルギーにしたらそれくらいの膨大なエネルギーになるということである。多分地球が吹き飛んでしまうくらいのエネルギーだ。

「これってスゴくない?」

今行われている原子力発電ではウランがプルトニウムになる過程で起こる質量欠損(元のウランの重さよりごく僅かだがプルトニウムのほうが軽くなる)分がエネルギーとして取り出され、お湯を沸かして電気エネルギーにしているわけだ。ウランがプルトニウムになるのは水素と酸素が結びついて水になるのとは根本的に違う。化学変化ではない。例えて言うなら鉄が金になるようなものだ。ここで言いたいのは「鉄より金のほうが高い」とかそういうことではない。物質が変わるのだ。

そして量子力学である。
量子のような小さな粒になるとその挙動は単に「粒」としてだけではなく「波」としての特徴を帯びてくる。光も量子である。学校では「光は波」と教わるが「光は粒」としての特徴も持っている。これもアインシュタイン博士が「光量子説」として発表した。あまり知られていないことだがアインシュタイン博士は相対論ではノーベル賞を貰っていない。博士がノーベル賞を受けたのは光量子説によるものである。
この小さな粒を細かく見ていくと倍率を上げるごとに粒としての特徴と波としての特徴がいろいろなところで出てきて粒なのか波なのかがわからなくなってくる。例えば「原子」を見てみよう。学校では「水素原子は原子核の周りを電子が一つだけ廻っている」と習う。ところが量子力学の世界では原子核の周りを廻る電子は粒ではなく「雲のよう」に均一に広がっている。ところがそれを写真に撮った瞬間に「電子の粒」として写るのだ。雲のように広がっている姿は写真には撮れない。撮った瞬間に「粒」になってしまうからだ。そしてその粒が原子核のまわりのどこにあるのかは確率でしかわからない。クルクルと廻っている電子をストップモーションで捉えているわけではないということだ。つまりその雲の中のどこにでもいるということなのだ。

200億年の昔、宇宙が生まれた瞬間に空間ができ時間ができた。ビリヤードのボールが弾かれるようにすべての粒子が一斉に動き出した。宇宙は真空である。動き始めたものは物理の運動の法則に従って完全弾性衝突を繰り返しながら広がっていく。完全弾性衝突はぶつかり合う2つ以上の粒子が持つベクトルによって衝突後の動きは完全に決まる。つまり宇宙が完全弾性衝突の連続で出来ているなら、今こうしてボクがBLOGにこの文章を書いていることも、あなたが今、この文章を読んでいることも、宇宙が始まった瞬間から決まっていたことになる。すべてを見通せる神様がいるなら「最初から分かっていた」ことなのだ。

そうでないと言っているのが先にお話した量子の雲である。「不確定性原理」という。量子はぶつかるたびに確率に従って違う方向へ飛び去る。確率でしか決まらないというのが不確定性原理だ。これは量子力学の基本である。ボクはこの話を聞いた時に最高のストーリーを思いついた。

「古い宇宙の法則では宇宙が始まったときからすべての運命が決まっていた。そういうことになっていた。でも新しい科学はそれを否定した。人生は確率でしか決まらない。人生はあらゆる可能性を否定しない。だから君とボクがここで出会ったのは果てしなく0に近い確率の偶然の結果なんだ。」
なんというロマンチックな話なんだろう。でもそんな話をして振り向いてくれた女の子は不思議なことに一人もいない。
そもそも人生があらゆる可能性を否定しないのなら、ハナから東大を諦めたボクがそんな話をするなんて、チャンチャラおかしいというものである。