小学生の頃から寝つきが悪かった。布団に入って横になってからもいろいろなことを考えてしまい何時間も寝られないことがあった。次の日のことなど色々な”可能性”(いわゆる推論)など考え始めると様々なケースごとの結果や、その結果から考えられるその先の行動計画など考えることはいくらでも湧いてきた。もっともそんなことを考えたところで思った通りにならないのが現実であり、常に思い通りの人生を歩めるなら苦労はない。

それでもなかなか寝られないと当然次の日の朝が辛くなるわけで、できることならスパッと寝たいものだと思っていた。のび太のように3つ数えるうちに寝られたならこんなに幸せなことはない。幼稚園の昼寝の時間や小学校の昼休みでも10分ほどの短い時間の間に寝られる人が羨ましかった。大人になって20代の頃は趣味のモータスポーツで夜な夜な群馬や長野の未舗装の林道に練習に行くことが多く、そんな時は”寝られないこと”が初めて有利だと思ったものだ。

20代の頃はホテルでブライダルの担当をしていたこともあった。多くのお客さん(新郎新婦)は挙式の1年ほど前から式場の予約を始める。だから担当者はそれから式が終わる1年先まで予約が入っている。それが毎日続くので予約だらけの日々は延々と続く。「このプロジェクトが終われば一段落」ということがない。賽の河原に石を積むような仕事が果てしなく続く。だから毎晩寝ようと布団に入ると次の日のお客さんや打ち合わせの内容をシミュレーションしてごちゃごちゃと考えることになる。だからまた寝られない。

30歳を過ぎて車遊びから疎遠になり酒を我慢する必要もなくなったので睡眠対策に寝酒をするようになった。酔っ払ってごちゃごちゃと考えることもできなくなればすぐに寝付けると思ったからだ。もっともそのためには泥酔に近いくらい深酒をしなければならない。すると翌朝起きるのは相変わらず辛い。それでも寝られない睡眠不足よりは深酒の二日酔いの方がまだマシだった。

ところが半年ほど前に「ベッドに入ったら何も考えないようにしよう」と決めた。もちろんもちろんうまくいくときもあるしやっぱりダメなときもある。そんなとき耳にしたのが「瞑想」だった。最近リモートで始めたヨガレッスンで先生が「何も考えないで穏やかな気持ちで瞑想してください」と言っていた。「でも何かが頭に浮かんできてしまったら『いま自分は何を考えているのだろう?』と自分の頭の中を客観的に見てそれを考えることをやめてみてください」と教えてくれた。自分の頭の中を外から覗いてみる。きっとそれが無我の境地なのかもしれない。まだ始めたばかりなのでそう簡単にはいかないが。

でも今では意識して何も考えないようにすることが少しずつできるようになってきたのでもう寝酒の理由はないはずなのだが、なんとなく癖で毎晩飲んでいる。でもだんだんと飲む量も減り、寝る前にベロベロに酔っ払っていることもない。数日前からなんとなくその習慣をやめてみようと思った、というとカッコイイが単に家のお酒が切れただけだ。ない袖は振れないので必然的にその晩は断酒になった。寝つきにはなんの問題もない。寝つきには問題ないのだが寝るまでの時間はなんとなく口寂しいので代わりに炭酸水や氷水を飲んでいる。炭酸水を飲んでいるとレモンの匂いはしなくても酎ハイを飲んでいる気分になる。1週間ほど続いているが無理に断酒をしているわけではないのでまた飲みたくなった時には我慢せずに飲むつもりだ。そんな境地になったのは進歩なのだろうか?