大多数の大阪人をはじめとした関西人の非難を浴びることを恐れずに言うなら、”関西のお笑いは面白くない”から見ない。関西人の「『ほら、おもろいやろ〜!』と得意マン面に舞台に上がる芸人を見ると虫唾が走る。とにかくボクにとってはつまらないし笑うこともない。大阪を”お笑いの聖地”などと持ち上げるマスコミにも「アタマがおかしいんじゃないの?」と悪態を突きたくなる。

実は小学生の子供の頃からドリフターズやタケちゃんマンも面白くなかった。学校ではクラスの同級生”全員”が「8時だよ、全員集合!」を話題にしていたので同調圧力でイジメを受けるのを恐れて、学校では自分も見てるフリをして話だけは合わせていたがまったく見たことはなかった。それにボクの家でテレビのチャンネル権は「夜7時以降は大人のもの」だったからNHKの「7時のニュース」以外は見ることがなかった。唯一の例外は「カルピスお子様劇場」の「アルプスの少女・ハイジ」やパトラッシュの「フランダースの犬」で、それだけは特別に見ることが許されていた。

高校生くらいになると「元気が出るテレビ」(?)のたけちゃんマンが学校で話題になっていたが、相変わらずこれらも見ることはなかった。しかしその頃になると自分自身も洗脳されてしまって、お笑い番組の面白さすら理解できなくなってしまった。ある種の新興宗教みたいなものである。だからビートたけしも明石家さんまを見ても笑えなかった。しかしタモリは時々NHKにも出ていたので目にする機会はあった。それにしても、なぜ人はお笑い芸人を見て笑うのだろう? 今になってもお笑い番組を見てもさして面白くないのでほとんど見ない。

落語も上方落語より江戸前落語が好きだ。ボクにとって”笑い”とは、ただ行動や仕草が面白いだけではダメなのだ。その裏にあるややブラックな風刺のようなものがあってこその笑いなのだ。ただ、ブラックは毒舌とは違う。元猿岩石(さるがんせき)の有吉は再び毒舌タレントとしてバラエティ番組で人気を得ているようだが、彼の話は決して面白くないしまったく笑えない。そういう意味ではマツコデラックスも同じである。誰かを腐すことで笑いをとる手法は昭和の頃からお笑いの定番になったが、悪口を言ってそれをみんなが笑うには言われた人の対応が面白くなければならない。悪口を言われた当人が怒り出したら笑いにも何もならないのだ。

落語も含めて、関西のお笑いはボクにはただのドタバタ劇にしか見えない。それは関東のドリフターズも含めて、あのドタバタのどこが面白いのかいまだにまったく理解できないでいる。