テレビのグルメ番組など見ていると、脂ギトギトのステーキなどを前にしてタレントやお笑い芸人たちが、「コレ絶対美味いやつやん!」「美味しそう!」などと言いながら、いざ自分が食べる段になると必ずと言っていいほど「罪悪感〜ん」などと叫びます。おそらく台本にそう書いてあるからで、本人これっぽっちも罪悪感など感じていなくても、そう言うのがテレビ番組の”キメ”になっているのでしょう。

ではそもそも「罪悪感」ってなんですか? 辞書を見ると「道徳・法律・宗教の戒め・社会の習慣などにそむく悪い行いや罪を犯したという意識」とあります。脂でギトギトのステーキやラーメン二郎の背脂たっぷり、ニンニク臭満載の大盛りラーメンを食べることは罪でしょうか? 「食べてはいけない」と誰かが決めたのでしょうか? そんな決まりはどこにもありません。食べる人が「自分の健康に良くない」と思いながら良心の呵責(?)に苛まれながら口にするから”罪悪感”を感じるのでしょう。

でもそんなものばかり食べて自分の健康を害したとしても、痛い目に遭うのは他ならぬ自分です。誰に迷惑をかけるわけではありませんから罪悪感など感じないで好きなだけ食べればいいのです。その結果がどうなろうとボクの知ったことではありません。因果応報です。そもそも生き物で”食べ過ぎ”などと言われるのは人間と人の飼うペットくらいなものです。自然界で生きているほとんどの生き物は生きるために必要最小限の食べ物や栄養で生きながらえているわけで、またそれすら得ることができずに死んでしまったりする個体だってたくさんいます。その時点でカロリーを摂り過ぎている生活を送っている人間という動物はおかしいわけです。食べ過ぎで生きていること、それ自体が”自分という自然”に対して罪を犯しているようなものです。

もっとも自分身体の健康を気にするなら余分に食べなければいいだけの話で、美味しいからといって塩分や糖分を際限なく過剰に摂取すればいつかは身体も不調をきたすことになるでしょう。でも本人が「それでもいい」というなら罪悪感など感じないで思う存分好きなだけ食べた方が精神衛生上もいいのではないでしょうか?

つまり「ん〜罪悪感っ」などと大きな声で言っている人ほどホントは罪悪感なんて感じていないわけです。バカみたいにドカ食いするくせにグルテンは体に良くないなどと言って小さなことばかりこだわる人もいます。もしかしたらそうなのかもしれません。でもその前にもっと体に悪いことをたくさんやっているのではないですか? 枝葉末節にこだわって大局を見ないのは笑止千万です。木を見て森を見ずとはこのことです。戦前生まれの親父は昭和の週刊誌の記事を盲信して「食べ物の焦げを食べるとガンになる」と言い続けていました。もしかしたらそうなのかもしれませんが、焦げを多少食べたからといってそれだけでガンになるものではありません。

そしてそんなに食べ物に対して罪悪感を感じるなら他のことにも罪悪感を感じているのでしょうか?

地球温暖化が叫ばれ、二酸化炭素の増大が大きな原因と言われています。肉牛を育てるためには膨大な水と飼料、エネルギーが必要です。そのために二酸化炭素を吸収する広大な森林を農地に変えています。化石燃料の過剰な消費だけが原因なわけではありません。ゴミのポイ捨てやその他の環境破壊には罪悪感を感じているのでしょうか? 歩いてでも行けるスーパーにガソリンを使って車で行くことに罪悪感を感じているのでしょうか?そんなことを考えればもはや生きていかれなくなると思うかもしれません。あまり枝葉末節にこだわり過ぎてもあまり意味はありませんが、生き物にとって食料は毎日のことで、大量に消費するものです。罪悪感を感じるなら糖や塩分、カロリーの過剰摂取だけではなく環境破壊に対しても罪悪感を感じて欲しいものです。