すぐに「何が正解なの?」と訊く人がいます。
もっとも私たちは小学生の頃から答案用紙に”正解”を書くことだけを求められ、教科書に書かれていることが唯一の正解だと教えられてきたのですから仕方のない面もあります。すべての疑問には必ず正解があって、それを忘れたり間違って覚えることは学歴競争からの脱落を意味します。だから必ず正しく正解を知らなければなりません。だからつい「で、何が正解なの?」と訊いてしまうわけです。

でも、人生をある程度長く生きていると、答えがいくつもあったり、「正解がない」とか「いまだに分からないこと」なんて言うことはいくらでもあることに気づくでしょう。特に義務教育や高校を卒業してから大学などの高等教育を受けた人にとっては「分からないことの方が多い」というより「この世界のほとんどのことは分からないのだ」ということを痛感していることでしょう。例えば子供に「宇宙の果てはどうなってるの?」とか「地震はいつ来るの?」と訊かれてもきちんと答えられる人はいません。だって”本当に”分からないのですから。いくつかの学説を持ち出してもっともらしい説明をする人もいるでしょうが、その人だって自分で宇宙の果てまで行って行って見て来たわけではないのです。

それでも多くの人は「何が正解なの?」と質問してしまいます。疑問に対する答えを知りたいと思うのは自然な欲求です。だからこそテレビでもネットでもクイズ番組や正解当てクイズのコンテンツはいつも大人気です。NHKでやっているクイズ番組の「チコちゃん」は5歳の子供なのにたちどころに答えを出して、正解できなかったオトナに「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と罵声を浴びせかけますが、実際のところその答えのほとんどには「諸説あります」という注意書きのテロップが付け加えられていますし、時には明らかに間違ったことを答えていることもあります。まぁ子供なのでボーッと生きていても仕方ないことです。

昭和の時代を生きてきた我らの世代にとっては「テレビは正しい」、「新聞は正しい」ということが常識として流布されたこともありました。最近ではメディアリテラシーなどという言葉で「正しい情報を掬い取ろう」というムーブメントも出てきましたが、今のマスコミやインターネット上に流される情報はどれも信憑性がありません。ニュース報道だって各メディアによって”伝える情報”と”伝えない情報”を意図的に選択しているわけですから、伝え方によって何を一番伝えたいのかは人それぞれです。それはたぶん自分自身が現場にいて直接見聞きしたことであっても、人それぞれに受け止め方が違うのですから仕方ありません。決して「百聞は一見にしかず」ではありません。実際に自分が見ていても分からないことの方が多いのです。

正解を求める人と必ず正解があると思っている人はたくさんいます。本人がそう思っているのだから仕方あありませんし、それを責めることもしません。あなたは他の誰かから聞いたことや教えられたことを鵜呑みにしてしまうことはありませんか?テレビで言ってたから…、新聞に書いてあったから…、推しのアイドルが言ってたから…。でも聞いたことを自分なりに考えてみることをしていますか?

誰か他の人の言葉を鵜呑みにして信じてしまうことをかつて「バカの壁」という本の中で「思考停止」という言葉で表現した養老孟司さんという大学の先生がいました。当時、この本は話題になりましたから読まれた方も多いと思いますしボクも色々な方から講釈されました。話を聞きながらボクは「この人は”バカの壁”を超えられていないんだな」と心の中で思ったものです。

正解はわからなくても正解に向かって考え続けていくことは無意味だとは思いません。それでも正解は見つからないかもしれません。でも考え続けることで自分なりの”More better”を探し続けることはできると思っています。自分なりの(今のところの)最善の方法があればその先を考え続けることもできるはずです。たぶんボクが生きている間に答えを見つけることはできないと思いますが、この道の先にはきっと正解があるはずだと信じて少しずつ進んでいきたいと思っている今日この頃です。