「魔改造」とは既存の商品を自分の好きなように改造して楽しむ趣味の一つなんだそうです。先日はテレビで魔改造の特集をやっていました。その中で取り上げられていた1つの例が、かつて子供たちの間で流行っていた(今も?)ミニ四駆です。決められた専用のミニ四駆用のサーキットにそれぞれ各自が自慢のマシンを持ち込んでその速さ(順位)を競う遊びです。

デパートや玩具店で既製のマシンを買ってきてそのままレースに参加する子もいれば、自分の好みに合わせてデコレーションを加えて持ち込む子、レースの結果を求めて少しでも速く走れるように改造したマシンを持ち込む子など様々です。速く走るためにはパワーのあるモーターに変更したり高性能なタイヤに替えたりするらしいのですが、そこは子供ですからお小遣いにも限りがあります。お金持ちの家の子は高価なパーツを使って改造できますが、ギリギリの予算しかない子はお金を使わずに”お金持ちの子”をやっつけてやろうと工夫します。「金がなけりゃ知恵を出せ、知恵が出なけりゃ汗を出せ」とは貧乏人の間では有名な格言です。

パワーアップすることは勝つために有利な改造ですがそれ以上に”スムーズに走らせる”ことはもっと重要なことです。いくら速く走れてもコースから飛び出してしまえば失格です。ウインタースポーツのボブスレーなども同じですが、できるだけコースの壁に接触しないように、ぶつかって速度をロスしないようにすることは大切です。そこである子供が考えたのはマシンの四隅に針金で服の丸いボタンを取り付けてバンパーにすることでした。バンパーがあれば壁と接触した時にもロスを最小限にできると考えたのでしょう。案の定、そのマシンはモーターをパワーアップしたわけでもないのに他のマシンよりもずば抜けて速く走れるようになったそうです。

すると他の子供たちもそれを真似てもっと優れたバンパーを考えるようになったのです。子供たちが工夫して切磋琢磨する中でマシンの性能は高まっていきます。しかしそれを外からこっそり見ていた大人がいました。そしてそれが話題になると、メーカーの大人はその改造パーツを商品として売り出したのです。大人は「売れる!」と思ったに違いありません。そのほうがメーカーも儲かるし子供にも便利だろうと思ったに違いないありません。でもボクならメーカーの既製品パーツが売り出された時点でシラケてしまうでしょう。もはやそこには「魔改造」のスピリットは失われてしまっているのです。

そもそもは「お金なんてかけなくても工夫次第で強いマシンが作れる」ことが楽しくて改造しようと思ったのです。ところがオトナは「お金さえ払えば誰でも強いマシンに改造できる」ようにしてしまったのです。一所懸命に考えて工夫しなくてもお金さえ出せば誰でも簡単にスマートなマシンを手にできるようになるなら工夫する意味や努力の楽しさは半減です。考えて工夫した人だけに与えられる”栄誉”こそが価値なのです。

根源的に楽しさは貧困から始まります。お金がないから工夫するのです。お金を出せばなんでもすぐに手に入れられるのでは工夫する楽しみがありません。何でもかんでも便利にすればいいわけではないのです。一所懸命に考えてアイデアを出し、苦労して作ることが魔改造のスピリットなのです。大人はすぐに経済と効率を考えますが、一所懸命に考えて求めるものを形にすることこそが「ものづくり日本」の屋台骨だったのではないでしょうか?その精神を忘れてしまった大人になった日本人が日本を「ものづくり大国」の地位から突き落としてしまったように思えてなりません。