新型コロナが流行して社員の出勤を減らそうとする企業が出てきたために、図らずもリモート会議が増えました。「不要不急の会議はリモートで…」などと言われ、「不急の〜」ならいざ知らず、いかに”不要な”会議が多かったのかを思い知らされた人も多かったのではないでしょうか? そういえば以前にも「不要不急の出張は控えましょう」などと言われ、「”不要”な出張なんてするんじゃない!」と思った人も多かったはずです。そしてまた”不要不急の”仕事が浮き彫りになってわけです。まさに世界的に言われている日本人の労働生産性の低さの原因の一つが”見える化”できたのではないでしょうか?

話をリモート会議の戻しましょう。リモート会議に嫌悪感を持つ人もいます。それは単に「デジタルの機械が嫌い」と言う人もいれば、「リモートじゃ100人の会議はできないよね」と言う人など様々です。でもよく考えてみればそれはリアルな会議室でも同じことです。100人が1つの会議室に集まってケンケンガクガクの議論を戦わせることなどできるでしょうか? 活発な意見交換ができるのはせいぜい10人まででしょう。それ以上になればリアルであろうがリモートであろうがごく一部の人が意見を述べるだけで、大多数の人はその様子をありがたく拝聴するだけになってしまいます。

限られた時間の中で100人がお互いに意見を交わすことなど現実的には無理です。ちゃんと発言できるのはせいぜい数人に過ぎません。国会の予算委員会のテレビ中継を見てもわかります。もっともあの場では事前に取り交わした台本を読み上げるばかりで意見交換すらしているのか疑問ですが(苦笑)その場に出席している人の99%は座って聞いているだけです。たまに発言者の席の後ろで入れ知恵するのが精々です。それならリモートでも全く問題はないわけです。聞いているだけなのですから。それにそれに傍聴できる人も増えるわけです。もっともあの退屈な話を聞こうとする人はよほどヒマな…いや、やめておきましょう。

またリモート会議の特性で、一人が発言している時には自分が割り込んで話そうとしてもその声は他のメンバーにはほとんど届きません。いわゆる”ヤジ”を入れられないわけです。そんなことをされたらかつて「政界の暴れん坊」と言われたハマコーこと故浜田幸一さんは怒ったかもしれませんが、もう今は昔です。

実際にリアルな会議の場では声の大きな人が一人でがなりたてて自分の主張を押し通そうとするばかりで、声の小さな人の意見は無視されてしまうことが多いのが普通です。でもリモート会議ではある意味で参加者は平等です。顔が大きな人も体格の良い人も同じ大きさの画面になってしまうわけですから。そのせいかリモート会議にはだんだんとそれに合わせたお作法が少しずつできてきました。

基本的に発言者以外のマイクは切られて声(雑音)で話が聞きにくくなることを抑えようとしますし、逆に発言者は話し方を緩やかにして間合いを作ってその時間に意識的・明示的に”他の人の意見を聞く時間”を作ろうとします。そのことで意見交換をしようとするわけです。

それは相槌でも同じことです。リモート会議の最中にも自分のマイクのスイッチを切らずに大きな声を出して相槌の声を立てる人もいましたが、慣れてくると主催者(ホスト)が強制的にスイッチを切ってしまうようになりました。そもそも相槌は相手が話していることが「伝わっていますよ」という意思が伝われば良いのですから顔が見えているなら敢えて声を出す必要などないわけです。

最近では「やっぱりリアルな会議に戻そう」と言う人も増えてきましたが、逆に高齢者の間では「リアルに会うのは肝心な時だけにして、普段はもっと頻繁に短いリモート会議をやればいい」と言う人も多いのです。それこそが臨機応変ということで、リアルがいいとかリモートがいいということではなく、「最終的に上手くいくやり方でやればいい」ということを、それぞれが心の中で理解できたということがケガの功名ということなのではないかと思うのです。