とうとうロシアがウクライナを(一方的に)侵略して戦争が始まってしまいました。国連や世界中の多くの国がこぞってロシアを非難して制裁を加えると息まいています。案の定、ロシアは国連安全保障理事会の決議を拒否しました。以前から思っていたことですが、国連決議に拒否権を持つ”五大国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)”に第2次大戦後80年近く経った今でも国連が”特権”を与えていることの意味がわかりません。所詮は第2次大戦の戦勝国だったから”自分達が得するように”決めただけのことです。まずはこれを撤廃するべきだと思うのです。今の国連は差別社会の象徴でしかありません。

戦争や諍いは国家間であっても個人であっても、それぞれの意見や主張が食い違っているから起きるものだと思っています。それを領土争いや民族紛争という具体的な問題にして歪みあっているだけです。最近では日本でも「分断」という言葉が盛んに叫ばれるようになっています。経済的な問題による社会の分断、ジェンダー(SEX?)による社会の分断、などなど。男と女の意見の食い違いや社会的立場の優劣などで食い違いが起きているのですが、基本的には二人以上の人がいれば意見の違いによる”分断”が起きても仕方がない、とボクは思っています。

もし複数の人間がいてその意見や主張がまったく食い違うことなく完全に一致することなどあるでしょうか?そうだとすれば「価値観の相違」などといって離婚する夫婦だっていないはずです。しかし実際には夫婦や親兄弟の間にもさまざまな見解の違いがあって、多かれ少なかれイザコザは絶えません。それに直面した時に、「分断は悪いことだ」といってまったく自分の意に沿わない意見に迎合することはもっと悪いことだと思っています。それは自分の意見を捨てて無くしてしまうことだからに他ならないからです。

もっともどうでもいいような”分断”なら相手の言うことに合わせてしまうことも多くあります。どうせ結局は自分にとって「どうでもいいこと」だし、多くの場合それは意見の違いというより好みの違いだったりすることが多いからです。「この町で一番美味しいラーメン屋」などは人それぞれの好みでしかありませんし、多くの人が「一番美味い!」というラーメン屋だって自分の好みに合わなければ常連になることはないでしょう。しかし中には「みんなが美味しいっていうから」という理由だけで贔屓する人もいるようですから日本人とは変わった人種なのかもしれません。

閑話休題。
どうしてもお互いが相容れない意見の違いというものは存在すると思っています。ボクは一応、西側諸国の仲間でいる日本に住んでいるから中国やロシア、北朝鮮のような実質的独裁国家の政府のやり方にはどうしても理解できないこともあります。西側社会の常識では許せないようなまったく理解できないような考え方がそういった政府では常識としてまかり通ることもあります。日本なら”ガイジン”に接するときのように海外では今でも普通に人種差別が当たり前です。日本でいうなら欧米人に対してはコンプレックスを持っているのに東南アジア人と聞いただけで卑下する人もいます。普段から「アメリカ人」「フランス人」と言っている人が東南アジア人を指す時だけ「フィリピンの方」などと言っているのは、自分が公正な人間に見られたくて、本当は彼らをバカにしていることを周りの人に悟られたくなくて言い方を変えているのでしょう。

日本人は多くの人が「力による現状変更」(武力や暴力で相手を屈服させること)は悪いことだと子供の頃から躾けられます。大人からは「ケンカはいけません」「話し合いで解決しなさい」と言われます。でも自然界の動植物のほとんどは生き残るために(暴力で)決着をつけています。人間以外で問題を話し合いで解決するような生き物をボクは知りません。彼らにとっては「そうすることが当然」だという習性が身体の奥底まで刷り込まれているのでしょう。

ロシアや中国などの政府を見ていると(そこに住む国民と政府はまったく別物です)、西側の常識では理解できないことでも平気で仕掛けてきます。おそらく彼らにとっても「そうすることが当然」だという習性が身体の奥底まで刷り込まれているのに違いありません。そんな人たちと”分断”してしまうのは、そう簡単に解決できることではないだろうなと、今回の戦争を見て人間の無力さを新たにしたのでした。