学生時代は光陰矢のごとしです。3〜4年の期間は長いようでいて過ぎてみればあっという間です。特にその後の人生と比較すれば一瞬の出来事に過ぎません。しかしその当事者だった学生時代にはさまざまな出来事があり、人間関係も広がり多くの友人たちとも巡り合ったことでしょう。もちろん卒業した後だって数々の人と繋がるチャンスはありますが、そこには多くの場合、互いの利害関係に基づいた基づいた繋がりであることが多く、損得関係のない純粋な人間関係は少ないものです。

学生時代にももちろん損得勘定に縛られた交友関係がないとは言いませんが、「誰かのために」と考えるときには自分自身の損得を度外視してしまうこともたくさんありました。「自分が損だからやらない」のではなく「(友達の)誰かのためになるなら自分は損してもいい」と思った経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

人生も後半戦になるとあまりガツガツと「トクしたい!」と思う感情が衰えてくるような気がします。子供の頃には「億万長者になりたい」と思っていたのに今では「そこそこ食うに困らないくらいなら御の字」だと思えるようになりました。お金と引き換えに時間を、いや人生を浪費してしまうことの方がもったいなく思えるのです。どんな人にも時間は平等に流れます。その時間をどう使うかはそれぞれの価値観によってまったく違うでしょう。もちろんお金を儲けることが好きでそのために人生を費やす人もいるでしょうしそれを否定するつもりもありません。

ただ今のボクはお金や物質的な財産よりは自分の知識や経験などの”知的財産”を増やすことで心の満足を得たいと思うようになりました。ただ体を使うスポーツなどは加齢による体の衰えがありますからいつまでも続けられるものではないでしょう。その辺りは自分の体といい加減で折り合いをつけるしかありません。そんなことを果たして若い頃の学生時代に考えることができたでしょうか。

最近になって思うのは”人生は一生にわたる長い学生生活”に似ているということです。同じ頃に生まれた同世代は同級生、何十年も年上の先輩もいれば子供や孫のような後輩もいます。授業のように仕事にうち興じることもあればクラブ活動のように仲間たちと楽しい思い出を作ることもあるでしょう。やがて年老いて”卒業”するときが近づいてきます。自分より先に卒業していく先輩もいるし、同じ頃に入学して同じように卒業する同級生もいるでしょう。そういう意味で人生は一生をかけた長い学校のようなものだと思うのです。

もちろん顔も知らない同窓生や先輩・後輩も多いですし、それどころか顔見知りなどほとんどいません。たまたま同級生のように関わり合う人もいれば一生顔を合わすどころかまったく知らないまま卒業していく同窓生もたくさんいます。中の良い友達が見つかることもあれば許せないほど気に食わない奴がいるかもしれません。親友になれるのはほんの一握りでしょう。それでもみんな同じ学校の生徒なのです。だから出会いというものは面白いのだなと、今ころになってしみじみ思う今日この頃です。