ニュースを見ていたら、都立高校の入学試験の制度変更を伝えていた。従来は男女それぞれに定員を決めて合格者を決めていたのだそうだが、今後は男女それぞれの定員を撤廃する方向で検討するのだそうだ。

入学試験でもなんでもそうだが、机上の試験で男女別の定員があること自体信じられないことだが、それが今まで放置されていたことにもっと驚いた。少なくともボクが育った神奈川県ではボクが高校を受験した40年以上前にはそんなものはなかったし、共学の学校だったが「女子クラス」という花園のようなクラスもあった(残念ながらボクの学年にはなかったが、男子がそこに入れるわけではないから関係ないのか)。全国的にみてもそのような制度は東京の都立高校だけらしい。

数年前には私立の医科大学で男子を優遇する試験制度がバレて大騒ぎになったが、真偽の程は別にして、これは学校経営のための経済的な理由でそうしたらしい。少なくとも学力という面では試験勉強をちゃんとやったかどうかがほとんどの差異を生み出すのであって、社会的に生物学的に男女間に有意な差異があるとは思えない。

ジェンダー(gender)は”社会的な”性差のことでありEXは”生物学的な”性差のことだ。ジェンダーは人が作って決めたことだが、生物学的なSEXは哺乳類であれば程度の差こそあれ生まれ落ちた時から決まっているものである。哺乳類の場合、一般に男性は子供が産めないし筋力的に女性より強いことが多い。だからかつて女性に対して「子供を産む機械」などと発言した国会議員は男性に対しても女性に対しても圧倒的な偏見を持って差別していると言わざるを得ない。そんな人間が今でも政権で総理や副総理をやっているのだから、日本という国の将来も暗澹としていると言わざるを得ない。

しかしそれは職場などで「男性が優れている、女性が優れている」こととは全く関係がない。だから生物学から見た「力仕事は男性」という一般常識があることには一定の理解ができる。多くの例外はあるがヒトの場合、一般に男性の方が体格が大きく筋力も強いことが多いからだ。

しかし職場で、「徹夜の残業だから男性は残ること」というのはおかしいと思っていた。徹夜の残業で家に帰らないのなら、深夜の道を女性一人で歩くこともないしお風呂やシャワーに入れないのは男性だって同じことだ。「女性に徹夜をさせるのは可哀想」だとか「シャワーも浴びられないのは考えられない」というのは筋が通らない。男ならシャワーを浴びなくても臭くもならず清潔を保てるというのだろうか。それは逆だ。しかしそれはボクが会社員だった頃の職場には厳然として存在していたし、今でもそんな風習が残っている職場もあるだろう。

「男女平等」の問題を持ち出すときに、多くの人が勘違いをしているのはこの点ではないだろうか。もちろん生物学的にもオスとメスの境界線がハッキリしているわけではないが、そのことと社会的な性差を混同して、同じ労働に対して賃金格差をつけるなどというのはもってのほかだ。「だって男には残業があるし、女には生理休暇があるんだから」などというジジイどもには本気で「喝!」を入れなければいけない時が来ている。