8/12は何の日かご存知だろうか?1985年8月12日、まだ学生だったボクが夕方6時過ぎに家に帰ってテレビをつけたら、羽田発大阪行きの日本航空123便が行方不明になりました」というニュース速報が流れていた。それまでも小型機が事故を起こして行方不明になったというニュースは耳にしたことがあったが、そのとき行方不明になったのはジャンボジェットである。

その後も続報のニュースでは”行方不明”とだけ告げられ、やがて計算上、飛行機の燃料がなくなるという時間になっても発見されることはなかった。レーダーから機影が消えたため、この辺りではないかという目算で自衛隊や在日米軍までが捜索を行なったが、午後7時過ぎに自衛隊や米軍機が群馬県の山中で火災を発見して通報してきたが、それが墜落現場だという確証は掴めないままだった。

翌朝になって日が昇ると自衛隊や県警のヘリコプターが墜落現場を確認し、やがてテレビの緊急報道で放送されるようになっていた。その結果、最終的な犠牲者は520人、生存者が4人という未曾有の大事故になった。事故の詳細はノンフィクション作家・吉岡忍著の「墜落の夏」に詳しい。乗客の中には歌手の坂本九さんらもいたとされるが、残念ながら事故から生還することはなかった。

時は8月のお盆時期の東京ー大阪便である。折しもJALでは「かわいい子には旅をさせろ」のキャッチフレーズで子供だけのパックツアーを宣伝していた。羽田まで両親などの付き添いで送り届けられた子供は空港で客室乗務員に託され、大阪まで一人で飛行機に乗るのだ。大阪にはおじいちゃんやおばあちゃんがかわいい孫を迎えに来るという算段だった。それは「JALパック」をモジった「じゃりパック」という名前で販売されていた。後で知ったことだがそれに当時何人かの子供が乗っていた。子供たちはたまたま両親も誰もいない隙に事故に遭ってしまった。さぞかし心細かったに違いない。

ボクはその時夏休みで、前の晩から友人と車に乗ってたまたますぐ近くの群馬・長野県境あたりの山中でラリーの練習をしていた。帰ってテレビを見たときには事故現場を分からなかったので何とも思わなかったが翌朝になって事故現場が判明すると、昨日ボクたちが走っていたすぐ近くだったことに驚かされた。

その後、驚かされた航空機事故といえば今では「9.11」と呼ばれる2001年に起きたニューヨークの同時多発テロなのだが、この時は事故ではなく”事件”だった上に、生でニュースを伝えているキャスターの背後の画面で大型旅客機が世界貿易センタービルに突っ込むというショッキングな報道だった。

事故が起きてから翌朝まで12時間近く詳細がまったく分からなかった「123便事故」とは対照的に、まさに目の前で起きたことを映像で見せられたのだ。ジャンボ事故から今年で36年が過ぎたが、あの時のニュース速報の「ジャンボ機が行方不明になりました」というアナウンサーの声を忘れることはないだろう。