言ってはいけないことややってはいけないことという意味で「タブー」というものがある。辞書には宗教的に神聖なものとして禁じられているものだと書いてある。

小学生の頃、ドリフターズの加藤茶が音楽に乗りながら「ちょっとだけよ〜」と裾をちょっとだけめくるという芸が流行っていた。当時ボクは「タブー」ということの意味を知らなかったが小学校の担任の先生がタブーについて教えてくれた。

当時からボクは宗教的な生活をしたことがなかったので、先生の言う「宗教上」ということの本当の意味はたぶんわかっていなかった。そもそも当時から日本では宗教観というものが希薄だったので、一部のカトリックなどを信仰していた友達以外はピンとこなかったのではないかと思う。

おそらくその時には相手が小学生だったので、イスラム教は豚を食べてはいけない、ヒンズー教は牛を食べてはいけないといった話をされたのだと思うが、それすらクラス全員が「なんで食べちゃいけないの?」などと質問して先生を困らせていたような気がする。それがタブーなんだと言ってもまったく伝わらない。

今の社会ではジェンダー、人種差別、虐殺、障がい者差別、各種ハラスメントなどがあちこちで語られるようになった。そこには特に「触れてはいけない話題」というものが多い。話題にしただけで「それはハラスメントだ」と声高に騒ぎ立てる人もいるし時々、鈍感な芸能人や政治家がバカなことを言って炎上したり辞任したりしている。

もっともこれは思想とはいっても”宗教的”な問題を離れて”思い入れ”の部分が大きいのだと思っている。もちろんそれは個人の精神的な部分に準拠することだから尊重されてしかるべきなのだが、それを個人的な思い込みのままに放置することはあらぬ誤解を招くことになりかねない。

誰でも神聖な問題にはいたずら半分に安易に触れてはいけない問題だが、腫れ物に触れるようにその問題を避けてばかりいるとお互いの考えが相手にきちんと伝わらないということになってしまう。だから相手やその問題に敬意を払いつつもきちんと議論して自分の考えなり主張をすることは必要だと思う。

その時には神聖な問題であればあるほど相手の考えを尊重しなければならない。自分の主張を捨てて妥協する必要などないが、自分と違う考えや習慣を持った人がいるのだということを謙虚な態度で受け入れなければいけない。「多様性」などと安易に言われているが、日本人なら学校のクラスに肌の色が違う友達がいるだけで「あ、ガイジン」と思ってしまう人は多いのではないだろうか。たとえそれが両親の出身が日本でないだけで本人は生まれた時から日本で暮らしてきたとしてもだ。

繊細で微妙な問題について見て見ぬふりをするのは一番よくないことだと思う。お互いの考えを細かく知って理解し合うことからお互いの意思がわかるようになり、ゆくゆくは世界平和にもつながるのではないかなどと大言壮語を述べてみたりしている。