と小学生の頃、学校で教わった。オリンピックの話だ。オリンピックは勝つことが全てではない。参加することにこそ意義があるのだと先生は言っていた。まだ前回の東京オリンピックから10年も経っていない頃である。東洋の魔女たちがソ連に勝ち、劇的な金メダルに輝いたその影で、国民から絶対優勝と言われていたマラソンの円谷幸吉は裸足の鉄人・アベベに破れての銅メダルだった。

その後、数年経って円谷は自殺する。「銅メダルで申し訳ありませんでした」という遺書を残して…。と先生は言っていたが脚色かもしれない。いずれにしてもオリンピックで銅メダルまでとった英雄が「申し訳ありませんでした」と言って自らの命を絶ったのはどうしてかということをクラスで話し合ったのを覚えている。

そのときに先生が「勝つことも大切だが、オリンピックは参加することにこそ意義がある」と話していたことを覚えている。もっとも凡人は参加することすら叶わないのだが…。

でも今でもオリンピックが始まると、マスコミはどこもメダルの数だけに話題が集中する。参加することに意義があると言っていたのに、「メダルを取らなきゃ意味がないみたい」な言い草には違和感を覚える。もちろん表彰台に上がれば勝った選手は晴れがましいだろう。でもマスコミがそんなにメダルの数に拘るなら、「オリンピックはメダルの数にこそ意義がある」と開き直って堂々と言い換えればいいのにと思う。

高校野球の甲子園で優勝する学校は当たり前だが1つだけだ。でもその頂点を目指して高校球児たちは全国から集まる。幾つの学校が参加しているのか知らないが、予選から勝ち上がって最後まで1度も負けなかったのは優勝したチームだけだ。でも1回戦で敗退したチームも準優勝したチームも負けたのはたった1回だけだ。

メダルを獲得しているのは選手たちやコーチなどの努力の賜物であって、マスコミはオリンピックでメダルを取ったときだけチョロっと話題にするだけだ。夏の炎天下で真っ赤に日焼けしながらアルプススタンドで応援するブラスバンドほどの努力すらしていない。それでいて、あたかも自分たちが栄光を勝ち取ったように宣伝するのは手柄の横取りのように見えて仕方がない。

オリンピックに出られた人も、残念ながら今回は選考に漏れてしまった人も、選考会から、予選から参加したみんなのためのオリンピックであることに変わりはない。だから選手たちには勝っても負けても心からエールを送る。

最後まで頑張った選手たちに「おめでとう!」と。