「あり得ない」はあり得ない

東北のM9の大地震とそれに伴う福島の原発事故、熊本の震災、新幹線の台車に起きた亀裂、御嶽山や草津白根山の噴火。みんな「あり得ない」と言われていたが全部起こった。自然科学の世界は確率の世界だ。「100%あり得ない」ということはあり得ない。仮に新幹線の台車には「亀裂が入るような力が加わらない設計になっている」として事実そういう力は掛からなかったとしよう。しかし製作時のミスで、いや何者かが故意に事故を起こさせる目的で細工をすることは十分に有り得ることだ。100%とはそういうことだ。

原子力発電所はミサイル攻撃にも耐えるように設計されているという。でも福島の原発は「発電所が停電」しただけで爆発してしまった。何者かがテロを起こして日本中の原発への送電網を一斉に壊してももう事故は起きないのだろうか。100%防ぐことができると考えているのだろうか。

「リスク・マネジメント」という言葉を聞いたことがあると思う。自分や組織が危機に直面した時の行動様式をまとめたものである。誰だって危機になんか直面したくないしできることなら避けて通りたいと思う。ただいつも避けて通るわけにはいかない場合もあるので「じゃあどうしようか?」ということを前もって考えておきましょう、というところからこのお話が始まる。
リスクマネジメントには主に次の4つがある。

 1.リスクの回避:リスクがない状態にすること。リスクがある事をやらない。
 2.リスクの低減:対策をとって出来る限りリスクを減らすこと。
 3.リスクの共有:リスクの転嫁・分割。保険を掛けるなど。
 4.リスクの保有:何も対策をしないこと。リスクを許容すること。

1.の「リスクがあることをやらない」というのがリスク管理の上では一番安全だが、常にやらないで済むことばかりではない。だから一般的には起こりうることを想定し対策を考えて2.の「リスク低減」を考える。車で事故った時に被害を小さくしようと「スピードを出さない」ようにする、などだ。それでも起こってしまう確率は残る。そこで起こってしまった時のリスクを他のもので代替えしようというのが3.の「リスクの共有」になる。「保険を掛ける」などがそれに当たる。もっともそれで全てを転嫁できるとは限らない。そして4.は敢えてリスクを許容するということだ。「起こったらその時は仕方がない」と言い換えてもいい。

そしてリスクマネジメントの中でも「起こってしまったこと」に特化したものが「危機管理」になる。2.の”対策”の一部になる。リスク低減では起こりうることを”想定”して起きた時の体制や行動を前もって考えておくが、大抵は”想定外”のことが起こる。想定外とはどういうことか?文字通り”起こるとは思ってもいなかったこと”だろう。熊本の震災の後、熊本県知事が「(東北で起きた)あんな地震は熊本では起こらないと思っていたので対策はしていなかった」と言っているのを聞いて「この人は自治体の首長として大丈夫なんだろうか?」と呆れたのを覚えている。ましてや巨大火山を抱える「火の国・熊本」の知事がである。もちろん日本全国どこに行っても「絶対に地震が起きない」などという場所はないから、すべての場所で万全の対策を取ることなど望むべくもないが「もし起きたらどうしよう」くらいは”想定”してもいいのではないだろうか。

想定して「起きるかも」と思っているだけで初動はまったく変わる。「起きるわけがない」などと考えていたらかつての民主党・菅や鳩山のようにトンチンカンなことばかりをする。恐らく自民党がやってもそう大きくは変わらなかったはずだ。想定していなかったのだから。だからといって起きるかもしれないことを全て想定して万全の対策をするべきだと言っているのではない。せめてそのちょっと先のことくらいは考えましょうよ、ということだ。

行政・自治体は、冬になれば東京で大雪が降るかもしれないということを(恐らくは)想定しているだろう。だからといって万全な体制は整えていない。そんなことをすれば税金の無駄遣いになって非難されるし他にもっと重大なことに予算を使うべきだからだ。それはある意味間違ってはいない。リスクをどこまで許容する覚悟があるかどうかだ。雪で首都圏の交通網がある程度乱れるのは仕方がないし、それが重大な結果にはならないと覚悟していればそれでもいいわけだ。

リスクマネジメントの基本は「どこで何が起こっても不思議ではない」と思うことだ。「今もし大地震が起こったら」くらいは考えていても損にはならない。でも、
明日、いきなり地球が爆発して地球上のすべてが消えてなくなってしまうとしたら…
それは多分想定しなくてもいいことだ。