テレビで二宮金次郎(二宮尊徳)の話をしていた。二宮金次郎といえば地元の小田原では超有名人で、戦前には日本中のどこの学校にも薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎の銅像があったという。戦時中の金属の供出でほとんどの学校の銅像は国家に没収され、ボクらの時代には戦後教育の中で建てられたロダンの「考える人」に置き替えられていた。

二宮金次郎は今の神奈川県小田原市の出身で、地元は金太郎(坂田金時:さかたのきんとき)も排出している。足柄山でクマと相撲を取ったというあの金太郎である。一方の二宮金次郎は小田原の裕福な家に生まれたものの、折からの台風で増水した酒匂川(さかわがわ)に家や田畑の全部を流され、一家は貧乏な生活に陥った。その英雄二人の名前が金太郎と金次郎というのも奇遇な取り合わせだ。

二宮金次郎は家族を養うために昼は山で薪を取り、夜は草鞋を作って飢えをしのぐ生活をした。その後、菜種油の製造や米作などで生家の復興を成し遂げた上に本家まで立ち直らせる手腕を発揮した。そのことが小田原藩の家老の目に留まって小田原藩に仕官することになる。

金次郎は幼少時代に酒匂川の氾濫で痛い目にあったことから酒匂川に堤防を築くなどの施策を行って近隣の農家から一目置かれる存在になるが、実際には小田原藩の官僚機構(お役所仕事)の壁に阻まれて思うような施策がなかなか実行できないでいた。そんなときに江戸幕府の老中・水野忠邦に見出されて今度は幕府に仕官することになった。いわゆる大出世である。

しかし組織が大きくなればなるほど内部の風通しは悪く官僚機構の壁はますます厚くなる。役人というものは「何をやったか」ではなく「どれだけ人気があるか」でしか物事を測れない。できることなら何もやりたくない。やれば失敗して失脚するリスクがある。何もやらなければ成功もしないが失敗もしない。だから自分は何もやってないのに最大限にやっているように見せる。

つまり江戸幕府は二宮金次郎という”人気者”を雇うことで民衆に対して、「うちは二宮金次郎というできる男を雇ってるんだぞ」という”やってる感”を見せようとした。でも実際のところは金次郎が失敗するのを一番恐れていた。そんなことになれば責任者の責任が問われることになる。そのために金次郎の提案することにはことごとく反対してなかなか実行させなかった。そうしているうちに金次郎は年老いて潰されてしまった。

金太郎も金次郎も、大人になってから幕府に仕官したところは似ているが時代は平安時代と江戸時代で随分と離れている。平安時代には自分の力だけで実現できたことが、江戸幕府の官僚制の中では組織の力に押し潰されてしまったといえる。

金太郎は源頼光に仕えて四天王と呼ばれ、暴れ者の酒呑童子を退治するような武功を立てたが、一方の金次郎は組織の力に潰されてしまった。残念なことである。