格付けが大好きなニッポン人

ミシュラン・ガイドという小冊子はご存知だろう。フランスのタイヤメーカーであるミシュラン社が、タイヤの宣伝のためにあちこちのガソリンスタンドに配った旅行者向けのガイドブックが起源だという。そのうちガイドブックに掲載されたレストランの格付けを行うようになり今に至ったらしい。10年ほど前から日本版も発売されて当時はかなり話題にもなった。ミシュランに掲載された!だの二つ星だのと大騒ぎされたのを思い出す。あれから何年も経つが、今はどうしてるんでしょうねぇ?やっぱりウルさ方にはヒイキにされてるんですかねぇ?

日本人は(外国人のことはよくわからないが)ランキングが大好きである。有名幼稚園に始まりエリート進学校、人気大学、企業の初任給から将来の有望性、ホテル・レストランはもちろんのこと家電の安売りや人気小説や化粧品の売れ行きまで格付けされていないものを探すのは困難とも思えるほどだ。まぁそれを見て”人気があるお店に行った”、”三ツ星ホテルに泊まった”と満足できるのならそれは平和で幸せなことだと思う。すべてはお金で解決できるのだから。

僕が違和感を感じるのは格付けをすること自体ではない。考えてみれば”格付けがある”ということは”格付けをする人がいる”ということである。アタリマエだ。格付けをするということは何らかの”基準”に当てはめて優劣をつけるということである。例えば料理に優劣をつけるとしよう。味というのはすべからく個人の好みに左右される。フランスの臭いチーズが好きな人もいれば八丈島のクサヤ(発酵した糞尿の臭いように感じる人もいる)が「あの臭いが何とも言えないんだ」と熱く語る人もいる。フランス料理のコースが最高だと思う人もいればアジの干物の塩焼きと納豆、味噌汁が一番落ち着くという人もいる。そこに一線を引く基準は何なのだろう?家だってそうだ。都心のタワーマンションが最高だと感じる人もいれば信州の古民家に住みたいと思う人もいるだろう。もちろんミシュランガイドを崇拝する人たちがそんなことにすら気づいていない人たちだとは思わない。「ミシュラン」が”最高だと思う”基準をわかった上で議論していることくらいは理解しているつもりだ。でもあえて問わせてもらうなら、ミシュランの格付けをした人とあなたの価値基準は同じなんですか?と。その上であえて星の数で判断するのですか?と。

インターネットを見れば家電製品の格付けを探すことなどたやすいことだ。そこではやはりテレビCMをバリバリと打って量販店に猛烈な売り込みをしているメーカーの製品が上位に出てくる。しかしそれは製品の優位性ではなく多くの人が「知っている」かどうかの基準でしかない。我が家でも数年前に掃除機を買い替えた。量販店の店頭ではテレビCMにもよく出ているアメリカ製の製品が全面に置かれていた。価格は日本製と比べて2倍以上するのにほとんどの人は件のアメリカ製を買い求めていた。
しかし我が家では、そのボディの大きさや大雑把な作りを見てから部屋の隅のホコリの吸い取り性能をその場で比較し、狭い我が家では日本製のほうが合っていると判断して家に帰ってからネットショップで購入した(笑)

「食べログ」という国内のレストラン評価サイトはご存知だろうか?町の食堂から居酒屋、フレンチレストラン、ワインバー、焼き鳥屋など様々な飲食店が登録されていてこれまた星の数で評価されている。ここで高評価を得ると人気が出て売上が急激に増えるのだそうで、一時はサクラによるヤラセや買収などが問題にもなった。それにしても、である。これを見た人は本当に信じているのだろうか?我が家の近くにはとても美味しい焼き鳥屋があるが食べログには登録されていないし僕も投稿しようとは思わない。僕の大切にしている庭に土足で踏み込んでくる輩がいないとも限らないからだ。でも僕はその店が、東京で食べる超人気有名店の焼鳥よりも美味しいと思っている。