モンテーニュの「随想録(Les Essais)」に傾倒していた時期がある。高校生の頃、うちにあった古い文学全集の中から見つけ出して読んで以来のめり込んでいた。それは短い文章で簡潔に世の中の、人生の姿を語っている。彼はお城の塔の中の一室に一人で篭ってその壁に書き綴ったとも言われている。

すべてをわかっていた人だったのかもしれない。しかしこの世のすべてを体験してきたわけではないはずだ。人の一生は限られた短い時間だ。だが彼はそのすべてを語ろうとしていたわけではない。彼は自分自身のことだけを完全かつ率直に語ろうとしている。

人間性とは大きな多様性とその移り変わりやすさこそがその最大の特徴だと認識していた。最近の日本の教育では「個性を大事にして生きていこう」「みんな違ってみんないい」を合言葉に急に画一社会教育を否定するようなことを言い始めた。そもそもこの世の中に過去を含めて同じ個性を持った人間など一人もいない。「個性を大切にしよう」などとわざわざ言わなくても誰もが個性を持っているし自分の個性の上で生きている。

ただ社会的な生活を送る上では自分の個性だけを前面に押し出して我を通そうとしてもうまくいかない。なんらかの妥協だったり話し合いをしながら共通点を見つけてそれを前提としなければならない。それを画一化だといえばまさに画一化だ。でもそうやって太古から人間社会を作ってきた。

またこんなことも言っている。

結婚とは鳥籠のようなものだ。
その外にいるとりは必死になって入ろうとするが
中にいる鳥は必死になって出ようとする。

それは決して真理ではないかもしれないが、画一化教育を受けた現代人の多くは共感するところもあるだろう。

「家族は愛し合うものだ」「親は尊敬されるべきものだ」「愛は美しいものだ」

とマスコミもテレビドラマも口を揃えて言う。しかしボクはそれに懐疑的だ。憎しみ合う家族もいれば尊敬に値しない親だっている。打算的で利己的な薄汚れた愛はそこら中に転がっている。だからといって悲観的になる必要はないとボクは思っている。

人それぞれはみんな違っている。それでも画一化教育を受けてきたボクは「家族なら愛し合うべきだ」と言う意見に「そうだね」と答える。なにも他人の心のひだを逆撫ですることはない。自分の心の中で「ホントかね?」と悪態をつくことは自由なボクの個性だ。