ここでは何度か”ガイジン”をテーマに取り上げている。ここでいうガイジンとはニッポン人から見たいわゆる外国人のことで、古来の”日本人種”以外の人のことを指している。古来の日本人種といっても元々は大陸から渡ってきた我々の先祖が起源になっていると思われるので、どこからが”古来の”日本人種なのかは定かではない。

1300年以上前の飛鳥時代以前から朝鮮半島などの大陸との往来はあったわけで、当然人種間の交雑は起きていたはずだ。だから人種間に明確な線を引くことはできないし、飛行機が発達した現在ではなおさらのことだ。

しかしアメリカをはじめとして世界中では人種差別が大きな問題になっている。その原因は民族だったり宗教だったり肌の色だったり領土問題だったり食料問題だったり政治経済だったりと様々だが、ニッポン人は黒人もヒスパニックも白人も十把一絡げに”ガイジン”として認識する。区別されるのはニッポン人とガイジンだ。

だからニッポン人以外の人種を区別することが苦手だ。区別できないから差別が起きにくい。全部がガイジンだから同じなのである。その代わりに当然ニッポン人とガイジンという区別や差別は起きる。特に日本語というものが国際社会の中でマイノリティなので、言葉を口にした時点でニッポン人かガイジンかの判断が一瞬でついてしまう。

中国人や台湾、韓国人だと言葉を話すまでは日本人と区別がつかないことも多いが、東南アジアやインド、パキスタンまで行くと違いは明らかだ。それでも括りとしては”ガイジン”なのである。

明治維新以降、「まだ戦後」と呼ばれていだ時代までは西洋人、特に白人に対するコンプレックスが強かった。白人>アジア人、という意識を多くのニッポン人は抱いていたし今でもそう感じている人はいるのではないだろうか。西洋人に対するコンプレックスは明治になって日本政府が西洋に使節や視察団を送って西洋文化を必死になって取り入れようとしたところから始まっている。しかしそこに黒人やヒスパニックはまだ含まれていなかった。戦後になるまで日本にはあまりいなかったせいもあるだろう。

ヘイトスピーチが問題になっている。でもその対象の多くは中国人だったり韓国人だったりする。1000年以上の間、政治は別として人的な交流を続けてきた隣国だが、世界中のどこの国でも隣り合った国同士の政府は仲が悪い。隣り合っているから領地や領海の取り合いも起きる。いざこざが絶えないのはある意味で仕方のないことだと思う。

だからといってそこに住む人と人までもが憎み合う必要はない。いざこざは政治の中で解決すればいい。それを人の感情の中に持ち込むのは愚かなことだ。戦前戦中には「鬼畜米英」と叫んで欧米人を悪魔のように憎んでいた。それが今では仲のいいお友達になっている。アジアだって同じだ。政治のいざこざに巻き込まれて人と人が憎み合うのはもうやめにしたいものである。