ちょっと前に「トイレの神様」という歌が流行った。子供の頃、一緒に暮らしていたおばあちゃんに「トイレを綺麗にしているとべっぴんさんになれる」と言われたので、嫌いだったトイレ掃除を毎日してトイレをピカピカにするようになった、というような歌詞だったと記憶している。

べっぴん(別嬪)さんとは辞書には「特別に綺麗な女性」と書いてあるが、それは単に容姿が綺麗というだけではないのだろう。容姿もそうだが心もべっぴんさんになるということだ。心の綺麗な人は女も男も魅力的である。

以前に書いた綺麗な人は自分で綺麗になろうとしているから綺麗なんだ(2020/3/12「綺麗な人は」)ということと似ているような気がする。トイレを磨くことは物質的なことに過ぎないけれど、「べっぴんさんになる」という不純な動機(?)ではあるにせよ、人があまり触りたがらないところを進んで掃除することで心の中も磨かれていくのかもしれない。

「人が嫌がることだから自分がやる」ということはともすれば誰もが忘れがちなことだ。今の世の中では「嫌なことは他の人に押しつける」ことが当たり前になってしまった。でも歌の中のおばあちゃんは「心が綺麗になってこそ本当のべっぴんさんなんだよ」と心の中で伝えたかったのだろう。それは容姿のことではないけれど、自分の心を綺麗にしようとしているからこそべっぴんさんになれるんだと言いたかったのだろう。おばあちゃんの言葉は今でも心の中に生きているのだろうか。

誰かのことを思いやって、誰かが幸せになることを願って今日もトイレを磨いている人がこの日本にもたくさんいるに違いない。「仕事のためだから」「お小遣いがもらえるから」ではなく、理由はエゴかもしれないが「私はべっぴんさんになる」と信じてトイレを磨き続けることが昔からの言い伝えになるのは、とても理にかなっていることだと思っている。しかしボクは家のトイレをあまり掃除していない。