「digital(デジタル)」とは、主に「数字で表す」という意味で、元はラテン語の[digitus(指)]から生まれた言葉らしい。日本ではコンピュータなどのことを総称して”デジタル”と呼ぶことが多いが、そこでいう数字とは0と1で数を表す2進数だ。その対語とされる”アナログ”は図などを使って表すことをいうが、英語の[analogue]は「似ているもの」という意味であって、日本語でいう「デジタルとアナログ」の意味とはちょっと違う。

「デジタル化」が叫ばれて久しいが、ボクたちの生活の中にもデジタルは着実に入り込んでいる。かつては活字で印刷していたものがワープロなどで作成されてプリントされたり、カセットテープ(これはアナログです)がCDやDVD、iPodになったり、電話回線がISDNになったりした。しかしこれらが”デジタル化”されることで見た目の生活が大きく変わったりはしていない。

もちろんレコードがなくなってCDになり、今ではインターネットで配信されるようにはなったが「音楽を聴く」という行為は今も昔も変わらない。電話回線がLINE電話に置き換えられたとしても「電話で話す」ことは変わっていない。つまりこれらは「音楽を聴く」「電話で話す」ということが目的であってそれらがデジタル化されても目的は変わっていないから生活にも変化が起こらないのだ。これは正しいデジタル化だと言える。

今度、スガさんが総理大臣になった政権ではデジタル化の推進が主要な政策の一つになっている。前の安倍政権ではデジタル化の意味を根本から取り違えていたようで、「消えた年金問題」に端を発して”国民総背番号制”のマイナンバーが取り入れられた。取り入れられたところまではよかったが、安倍前首相は”オレがやった感”を出すために「マイナンバーカード」なるものを意地になって推進しようとした。

国民一人一人にマイナンバーがあれば個人の識別は可能になる。今まではそれを、同姓同名が普通にある”氏名”でやろうとしたために複数の人が重複してしまい、年金の支払い履歴すら追いかけられなくなっていた。これはアナログだった”氏名”をマイナンバーという数字(デジタル)に置き換えることで重複のない記録を実現しようとしたものだ。だから重要なのはマイナンバーであって、それが印刷されたマイナンバーカードなどあってもなくてもいいのである。

それが証拠にマイナンバーは持っているがマイナンバーカードを持っていない人は国民の8割以上にもなる。持っていてもいなくても生活するのに全く支障がないということは、マイナンバーカードは「目的にはなり得ない」ということに他ならない。

それをコロナ禍に乗じて「カードを持っていれば便利でお得ですよ」と煽ってあちこちで使おうとしたが、今度は受入れのシステムが整備されていなくて大失敗に終わった。給付金の申請書にマイナンバーを”書いて”、”郵便で送れ”ばすんだ話をこじれさせ、安倍首相はお腹を壊して退陣することになった。これはデジタル化を目的にして「やったやった感」を出そうとして詐欺政権の一面だ。

デジタル化は目的ではない。手段の一つだ。デジタル化すればすべてがバラ色になるわけではない。デジタル化とは誰も気づかないうちに進行して、「気がついたらなんとなく便利な世の中になったよね」というものだ。今度できるというデジタル庁は果たして黒子の役目を全うできるのかどうか楽しみである。