ハンコ文化

最初にハンコを使ったのは小学生の頃だった。当時は宅配便などなかったから郵便小包やデパートの配送、町内会の回覧板くらいだったから三文判しか使わなかった。小学校や中学を卒業する時に学校から記念品としてもらったのが最初の自分のハンコだ。それは40年以上経った今でも三文判として活躍している。それほどまでに今でも日本はハンコ文化だ。

海外から旅行や留学などで日本に来る外国人の間では自分のハンコを作ることがちょっとしたブームになっているという。いやブームというより日本で暮らすのにハンコは必要不可欠だ。旅行者はまだしも日本で暮らそうと思えば役所に行って住民登録をしなければならない。役所はハンコ文化の権化だ。何をするにも最低で三文判が必要になる。銀行に口座を作ろうとすればまたハンコだ。最近ではハンコを使わずに口座を作れる銀行も僅かにあるが、ほとんどの金融機関はハンコの呪縛に囚われている。

それにしてもハンコは何のために必要なのか子供の頃から不思議だった。ボクの名前はちょっと変わっているのでそこらの店で三文判を簡単に買うことはできなかったが、多くの名前なら今では100均でもハンコを手に入れることができる。誰でも買えるものを”本人確認”に使うことに小学生のボクでさえ納得できなかった。誰でも簡単に買えるなら誰でも簡単に本人になりすますことができる。

最近では宅配荷物の受け取りにもハンコを要求されないことが多くなった。我が家にはマンションの宅配ボックスがあるので、以前から宅配ボックスに配達される荷物の受け取りにハンコは必要なかったが、最近では玄関先で受け取る荷物でさえ「ハンコはいりません」と言われることが多い。受領印はトラブルになった時に必要だったのだろうが、そんなものは配達員が三文判を買ってくれば誰でも偽造できる。つまりハンコの意味はない。

コロナになって日本の行政のデジタル化の圧倒的な遅れに多くの人が気付き始めたが、行政は「今までこれでやってきたんだから」と改革しようとする気配すら感じられない。行政に限らず今だにお役所仕事から抜け出せずにいる郵便局やゆうちょ銀行のシステムの使い勝手の悪さには辟易する。システム化が拙い民間の銀行でさえゆうちょ銀行ほどの使えないシステムはなかなかお目にかかれない。

このダメな流れが少しでも新しい方向に向かわない限りは行政のダメさ具合は変わらないだろう。今度の菅総理が標榜する「デジタル庁」のお手並み拝見というところだ。

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