夏になると毎年”水の事故”がニュースを騒がすが、今年は首都圏ではコロナの影響で海水浴場が閉鎖されているためビーチにはライフガードもおらず溺死する人が後をたたない。そもそも遊泳禁止の場所や人気のない川で泳いでいれば目立たないのも当たり前でこれはどう考えても自己責任だろう。まず第一に簡単に溺れるような人は水をナメている。ほんの一滴の水でも人は溺れて命を落とすことがある。

河川氾濫などによる浸水で流されて命を落とす人も多い。車に乗っていても30センチも浸水している場所では車は浮き始める。流れがあればエンジンがかかっていたとしてもアクセルどころかハンドルもブレーキも効かず漂流する。

膝ほどもある深さの川に歩いて入る人がいる。水の抵抗というものは本当に侮れない。くるぶしほどの深さでも強烈な流れに逆らっては歩くこともできない。海水浴の砂浜で波打ち際に立って波が引いていく力は壮絶だ。これが川の流れや津波だったら逆らうすべもない。なのに遊び半分で不用意に足を踏み入れる人は後をたたない。

波打ち際で水や波の勢いに流されてちょっとでも背のたたないところに流されてしまったらもはや遊びでは済まない。真面目にしっかり泳いで水を飲まないようにしなければあっという間に溺れる。人は一瞬でも溺れたら息ができなくなる。息ができなくなればすぐに死ぬ。なぜかそのことがあまりよくわかっていない人が多い。

酒を飲んで海や川に入るなど愚の骨頂だ。気が大きくなって深く考えることもできない。酔っ払っていては満足に泳ぐこともできない。水は怖いということをよく考えて欲しい。人は水の中では生きられない生き物だ。溺れてほんの1滴でも肺に水が入ってしまったらまず助からないと思った方がいい。それに気づいて「しまった!」と思った時にはすでに手遅れだ。運命の坂道を転がり落ちている。

テレビなどでは「溺れている人を見かけたら…」などと言っているが、実際のところ溺れている人を見つけることなどまずできない。たとえ自分のすぐ近くの1メートルのところに人がいたとしても、その人がこちらを見ていなければこちらが溺れていることにすら気づいてもらえない。溺れた人は水面の上で手を振ることも声を出すこともなく一瞬で静かに水に沈んでいく。溺れるとき人はただ静かに沈んでいく。一旦沈んだ人はもう声を出すことなどできない。

水に入ればもはや自分一人だけだ。誰にも助けを求めることなどできない。水の怖さに気づいていない人は溺れてからそれに気づく。すでに後の祭りである。

あなたも水を飲もうとして気道に水が入りかけてひどくむせてしまった経験はないだろうか。あれは溺れた時の疑似体験だ。それが息のできない水の中で起きれば万事休すである。翌日の地方新聞の社会面にはあなたの死亡記事が載ることだろう。それが想像力を働かせて慎重になるということだ。