いつどこで誰から聞いた話だか忘れてしまったが落語の世界には「三段抜け」というのがあるらしい。いわゆる噺の”オチ”ではない。お客が途中で客席を立ってしまうことだ。

落語の新人が見習い、前座、二つ目と修行を続けて真打になり、舞台、いわゆる高座に上がる時の心構えである。落語に限らず映画でも演劇でも歌舞伎でもミュージカルやオペラでも、見ているお客はつまらなければ席を立って帰ってしまうこともあるだろう。自分が高座に上がって噺をしている最中に常連のお客の中があからさまに席を立ったら「あぁ、オレの噺はつまらないのか」と思って少なからず傷つくのではないだろうか。ところが落語の師匠が言うには必ずしもそうではない、というのである。

高座に上がって噺を始めるとすぐに席を立つ客がいる。新人の噺家の声を聞いて「あぁこんな声なのか」と納得して帰る客だ。これが”一番抜け”である。

それから噺を始めて少し経った頃に席を立つお客もいる。「こいつはこんな話し方をするのか」と納得して帰る客である。これを”二番抜け”という。

そしてようやく噺が盛り上がってきたところで帰る客。「この話ならアイツの方が上手いから聞かなくてもいいや」と納得する客がいるのだという。これが”三番抜け”だ。

師匠によればここまでにお客が帰っていくのは噺家の責任ではないのだという。だから落ち込む必要はないらしい。しかしこれより後になってお客が帰っていくのは自分の鍛錬が足りないからなのだという。もちろんこれは毎日のように寄席に来ている常連客の話である。

しかしちょっと聞くと一番抜けや二番抜けで客が帰っていくのはわかるとしても、「これならアイツの方が上手いから…」と帰られてしまうのは噺家に実力がないということにはならないのだろうか。

ここが面白いところだ。寄席の常連たちにはそれぞれに「〇〇の話なら誰それが一番」というご贔屓なりのキメがあるのだという。そりゃ長い歴史のある落語の世界だ。その間には数々の噺家が世に出てきた。新人がいればベテランもいる。中には名人と呼ばれるような人だっている。

そんな世界では常に「上には上がある」「この世界に自分より上手い人がいないわけがない」と思っていることが大切なのだということなのだろう。もちろん「オレが一番」だという心意気を持つことは大切だけれど、そこで「オレが一番」だと慢心してしまえばそれまでで、それ以上の進歩はないという戒めなのかもしれない。

これが「常に上を見ることができる謙虚な心を持たなければいけないよ」という先人の教えなのかもしれない。何かでちょっと秀でると得意満面で自慢したがる人は多い。慢心して努力を怠ってしまう人も多い。でも「上には上がいる」と戒めることで今の自分に慢心することなく、常に高みを目指そうというモチベーションを保つことができるのだろうと思っている。