朝の情報番組で「我が家のマイルール」という特集をやっていた。「お酢で野菜を洗う」とか「新しい靴を下ろす時に靴底を汚す」などとそれぞれに聞いたこともない習慣が各家庭にあるものだと驚くとともに笑ってしまった。中でも衝撃的だったのは「祖母はイチゴを食べる時にはマヨネーズをかけていた」だった。

ちょっと聞くとギョッとするが番組スタッフの中には「うちでバナナを食べる時にはマヨネーズをかけている」という人が現れて騒然としていた。実際にイチゴにマヨネーズをかけたものを試食していたがやはり一般にはあまり受け入れられない味らしい。しかしそこで擁護するように言われていたのが給食のフルーツサラダだった。

小学校の給食に出ていたフルーツサラダを覚えているだろうか。いや地方によって時代によっては「そんなもの食べたことない」という人もいるだろう。でもボクはかすかにそんなものを食べた記憶がある。それはリンゴや缶詰のみかんなどをマヨネーズ和えにしたものだ。はっきり言ってボクは嫌いだったが食べられないほどではなかったので欠食児童はいつも嫌々ながら完食していた。

出演者たちは「そう言えばあれだと思えば食べられないことはないかもしれない」と口々に言っていたがやっぱり「食べられないことはない」シロモノだったのだろう。昭和の頃、フルーツはまだ高級品でなかなかボクたちの口には入らなかった。だから缶詰のみかんはご馳走だったしリンゴも好きだった。でもなぜそれをマヨネーズ和えにしてしまったのだろう。

おそらく当時はまだ高級品だったフルーツとハイカラなマヨネーズを合わせることでなんとなく高級な料理に見せたかったのかもしれない。確かに家の食卓でも味の素やマヨネーズはちょっとハイカラな逸品だった時代である。

グルメ番組を見ていると高級レストランでもやたらとトリュフやキャビア、フォアグラを乱用する店がある。肉でも魚でも何でもかんでも世界の三大珍味を振りかけて高級料理に見せようという魂胆だ。でもトリュフには独特の香りがあるしキャビアやフォアグラだって何にでも合うわけではない。何でもかんでも高いものをかければ美味しくなるわけではない。

ところが高級品にハイカラな高級品を合わせると「美味しい!」と言うという人は多い。つまり高くてハイカラだから味がどうだろうと美味しく感じるのだ。人間の舌なんていい加減なものである。キャビア、トリュフ、フォアグラ、金箔(笑)がかかっていればなんでも美味しく感じるようになってしまっているのだ。それらの食材が高価であることを知っているからだ。

金箔なんて味がするわけがない。ご存知の通り金を溶かすのは王水(硝酸と塩酸の混合液)だけだ。溶けないものに味があるわけがない。あるとすれば重金属の舌触りくらいだろう。でも人は金箔が載っている料理を見て素晴らしく美味しそうだと思う。金箔を載せるくらいだから高級で高価な食材を使っていて美味しいに決まっているというステレオタイプである。単純の極みだ。

この飽食の時代には高価なものを食べ飽きている人もいる。そんな人には”希少なもの”や”手に入りにくいもの”が美味しく感じるようになっている。しかし味は好みだ。高いものがみんな必ず美味しいわけではない。ボクが唯一嫌いな食べ物は琵琶湖の「鮒寿司」だ。恐ろしく高価なものだがあの見た目と酸味のあるあの味はどうしても好きになれない。

あなたは高いから美味しいもの、希少だから美味しいものだと無条件に感じてしまうその習性に疑問を投げかけたことはあるだろうか?