またまた日経電子版のCMから。通勤ラッシュの駅のホームに並んでいるOL風の女の子が「社会に出てから勉強って続けてます?」そこでナレーションが「365日分の差はかなり大きい。日経電子版!」

不思議に思ったのは「ニュースを見ることが果たして”勉強”なのか」ということ。新聞やネット、テレビなどのニュースを見聞きして時事の様子をうかがい知ることは大切なことかもしれないがそれは”勉強”ではない。単なる事実(だとされているもの)のインプットだ。これを見ている今の若い子たちはニュースを見ることが勉強だと思っているのだろうか。

こんな若者が年を重ねると「何があっても出社することがいちばんの仕事だ」という勘違い人間になりそうな気がする。コロナ騒ぎがあって以降、巷ではテレワークに切り替えた企業も多かったと聞く。しかし政府の緊急事態宣言が解除された途端に「さぁいい加減にテレワークはおしまいだ。さっさと出社しろ!」とばかりに通勤ラッシュは元に戻ってしまった。

もちろん急にテレワークだけで全ての業務がこなせるかといえばいきなりすぐに切り替えるのは難しいかもしれないが、この週ヶ月にわたってある程度の業務をこなせたことは事実だ。ということは最初から週5日は無理でも週に2〜3日、ゆくゆくは週に4日をテレワークに切り替えることは可能だろう。

しかし旧態依然とした古い管理職は”出社することこそ仕事の基本”だと信じて疑わない。部下が自宅でちゃんと仕事をするなんてことを信じていない。彼らの頭の中では「出社しない=サボっている」なのだ。

そもそも日本の一般的な雇用形態では特定の仕事に就く「就職」ではなく会社という組織に雇用される「就社」がほとんどだ。だから入社式の後に社員研修があって本人の希望とは関係なく配属先が決まる。そしてその職種がずっと続くわけでもなく「異動」や「転勤」によって今までとはなんの関係もない職種へ突然配置転換される。

つまり日本の会社への就職とは”旦那”のところへ”丁稚(でっち)”に行くのとなんら変わらない。旦那や番頭さんに「やれ!」と言われたことを黙ってやるのがいい小僧さんだ。そんな小僧に「明日から仕事は家でやることにします」と言われたって「はいそうですか」と言えるわけがない。

自分(上司)が常に見張っていて仕事ぶりや態度を見ていないと評価ができないからだ。それが職人のような専門職なら「結果」を見れば評価ができる。そんな職人は日本の会社にはほとんどいない。部下の「やるべき仕事と目標」を決めていないからずっと監視してテストでいう「中間点」を与えるわけだ。しかし本来テストに中間点はない。間違っていれば0点だ。点数がつくのは答えが合っているのが大前提で、その上でどれだけ早く(効率的に)正解できたかで加減算されるのが本来の姿だ。

日本の教育にどっぷり浸かっていると、正解が出なくても「頑張ったから」「途中までできたから」中間点をもらえて”当たり前”だと勘違いしてしまう。

だからニュースを見て時間を潰しているだけでも「勉強(仕事)をしている」と勘違いしてしまう。しかしニュースを見ることは決して勉強でもなんでもない。