「”醤油”って書ける? 私、書けるんだよ」と若妻が話すCMがあった。ずいぶん前の話だ。カレーだかビールだかのCMだったような気がする。いや醤油だからキッコーマンかヤマサかもしれない。ずいぶん前の話だ。醤油の瓶にはたいてい書いてあって、いつも見ていて、難なく読めるのに書こうとすると考え込んでしまう字だったりする。

今ならさしずめ「自粛の”粛”って書ける?」というところだろうか。読めても書けない漢字はずいぶんとある。そもそも”粛”とはどういう意味なのだろう。広辞苑を見ると「おそれつつしむ、うやうやしくする、きびしくする、ただす」などとある。暴言を吐くと「口を慎め!」などと言われることがあるから好き好んで我慢する(好き好んでする人は少ないと思うが)よりも抑圧されて黙るという意味が大きいのだろう。

新型コロナ騒ぎで全国的に”自粛”が叫ばれると「親方日の丸」で「右へ倣え」体質のニッポン人は自粛しない人を見ると非難する傾向がある。例えば”接待を伴う飲食業”(最初からキャバレーとかキャバクラって言えばいいのに)や深夜営業の居酒屋、スポーツクラブ、パチンコ屋などがそれに該当した。

”自粛”は”自分が慎む”のであって命令されたのではないから誰に非難されるいわれもないのだが、「あの店は自粛してない」だの「営業してる店に嫌がらせしてやろう」などという輩が現れる。強奪騒ぎにならないのはニッポン人の気の小さいところでそれはそれでいいのだが、隠れて石を投げたりSNSに悪口を時書き込んだりするのはちょっとイタダけない。

自粛とは関係なくても中には、マスクをしないで電車に乗っていた人をいきなり殴ったりする人もいたというが、それはもう立派な犯罪だ。これを「自粛警察」というらしい。自粛していない人を見つけて取り締まろうというわけだ。自粛している自分を”正義の見方”に被せているのかもしれない。「世界のためにオレは戦っている」という勘違いをしながら。

これは一種の原理主義者だ。原理主義者は”教義”の根本を厳格に守ろうとする人たちで、イスラム原理主義者やキリスト教原理主義者は世界各地でテロを起こしたりしている。別にその宗教が悪いわけではなく教義を厳格に守ろうとするあまり他人に厳しくするのだ。もっともテロを起こしているのは原理主義に名を借りたテロリスト以外の何者でもない。

そういう連中は、自分が我慢しているのに他のヤツがズルしてるのが許せないのだろう。だからと言ってイスラム教のラマダン(断食:陽が出ている間は食べ物や飲み物を口にしない宗教行事)に他の人がラマダンを守っていないからといってその人を非難するのは今まで見たことがない。ボクは信心深くないのでなんとも言えないが、宗教とは自分の中にあるものであって、誰かに思想や教義を押し付けるものではないように思う。布教活動でさえ宗教の押し付けではなかったはずだ。

多くの場合、”自粛警察”は自分に直接迷惑がかけられているわけではない。営業を自粛していない店があっても自分がその店に迷惑をかけられているわけではないし、自分が嫌なら営業しているスポーツジムには行かなければ済む。それだけの話だ。でも自分より我慢していないように見えるのが許せないのだろう。了見の狭い人間が考えそうなことである。もっともボクは自粛警察にカラまれたりしないように人前ではマスクをして手はアルコールで除菌するようにしている。何も波風を立てることはない。

ところで「薔薇」って書ける?