やればやりっ放し、出せば出しっ放し、開ければ開けっ放しという人はどこにでもいる。昔はしつけの基本として厳しく咎められたものだが最近ではどの親も子供に言わなくなってしまったのだろうか。

”やればやりっ放し”というのは動物と一緒である。自分で襖を開ける犬猫の話はよく聞くが、そこを通った後に閉めて行くという話は聞いたことがない。閉まっている襖の向こう側に行くには開ける必要があるから開けるが、自分が通ってしまえば閉める必要などないからわざわざ閉めることはしない。霊長類のサルやチンパンジーでさえ調教しない限りは後片付けをすることはない。開けたものを閉めるのは人間だけで、開けっ放しにするのは畜生と同じということである。

ではなぜ人間は使った後に後片付けをするのだろうか。ボクは行動学者ではないので詳しい理由はわからないが、それは効率性や生産性の向上のためではないかと思っている。

本来の収納場所があるのに使ったら使いっぱなしでしまわない人がいるとする。出しっ放しの物は本来の収納場所にはしまわれないからしまわれるべきそのスペースは無駄になり出しっ放しのスペースは他の用途に使えなくなるから無駄になる。二重の無駄だ。そしてそれを次に使おうと思った時にも本来の場所に戻されていないのでどこに置いてあるかわからなくなってあちこちと探し回ることになる。時間の無駄だ。

扉の開けっ放しはどうだろう。本来、扉がそこに設置されているのには意味がある。外気が吹き込むのを防いだり、防犯上の意味があったり、プライバシーの保護のためだったりする。何らかの意味があって開けっ放しにしているのでなければ本来の意味はなくなる。外気が吹き込んで冬なら寒かったり夏ならエアコンの効果が薄れてしまい暖房や冷房のエネルギーの無駄になる。

畜生がそれをしないのは暖房や冷房の効果を最大化するということを考えられないからではないだろうか。おそらく通り過ぎた後の襖を閉めた時に餌が与えられればそれをする習慣がつくだろう。調教というのはそうやって”何かをやれば得をする”ということを見せて習慣化させている。だからその都度ご褒美をもらえなければやらなくなってしまう。シンプルでわかりやすい。人間も子供の頃は同じだ。

それがやがてある程度大きくなってくると理由はわからなくても”叱られる”のが嫌で片付けるようになる。叱られなければ自分に害が及ばなくなるのだから相対的に”得をした”ことになる。大人になる頃には「襖を閉めておけば部屋の中を暖かく、涼しく保つことができる」ということを経験的に学習して自分の子供にも強制的にやらせようとする。やらなければ叱る。それが躾だ。

かつてムツゴロウこと動物王国の畑正憲さんが機内誌のコラムに書いていた。

「しつけは”お”しつけだ」

しつけに理由などない。いいからいいのだ、悪いから悪いのだ。それをする理由がわかっている大人がわかっていない子供に強制するところから躾は始まるのだと。いかにもたくさんの動物に囲まれて暮らしていたムツゴロウさんらしい。

ところが今では肝心の大人自身がその訳を知らないでいる。「どうしてやらなければいけないの?」と子供に問われて答えに窮してしまう。これでは躾が崩壊してしまうのも仕方がないと情けない気持ちになるのだ。