ボクが小学生の頃、合唱団にいたことは以前ここにも書いた。合唱団といっても小学校の担任の(クスノキ)先生が音楽が大好きで新学期が始まる日、教室に自腹で買った小さなレコードプレーヤーを持ってきて据え付けた。黒板の上にはカラヤン(指揮者)の肖像写真を飾り、我がクラスの生徒は全員合唱団に参加させられた。いや参加は命令ではない、志願だ。それでもボクらはクラスメイトの顔色を伺いながら全員が参加を”志願”した。先生がとりわけ合唱が好きだったのかどうかはわからない。

翌日から毎日欠かさず始業時間の1時間前には登校して講堂で合唱の練習をするようになった。”朝練”の後、全校朝礼が終わると教室に戻って先生の訓示を受けてから「1時間目の始まりの歌」を歌った。1時間目の授業が終わると「1時間目の授業の終わりの歌」を歌ってから休み時間になる。休み時間が終わって教室に戻ると「2時間目の始まりの歌」を歌ってから授業が始まるという合唱まみれの2年間が始まった。

「給食の始まりの歌」「今日の終わりの歌」を歌い終わると教室の掃除をしてから再び講堂に集まって”本当の”合唱の練習が始まる。朝と終わりの合唱には他のクラスからも(本当の)有志がやってきて一緒に練習をした。講堂にはグランドピアノがあったのでピアノの弾ける女の子が伴奏をしてくれた。そして5時過ぎに練習を終えて自宅まで1時間の道のりを歩いて帰る。当然友達と遊ぶ時間など全くなかったしクスノキ先生は宿題が大好きだったので毎日どっちゃりと宿題が出された。あの頃は地獄のような日々だった(と感じていた)。

そんなボクが10年ほど前から時々合唱のレコードを聴いている。今のお気に入りは千葉県立幕張総合高校合唱部の歌っているアルバムだ。そう、小学生の頃聴かされていたのは東京都大田区の西六郷(にしろくごう)少年少女合唱団とウィーン少年合唱団のレコードだった。当時はそれくらいしか合唱のレコードはなかった。今は素晴らしいレコードがネット上でも聞くことができる。

合唱の曲は福山雅治、森山直太朗、ゆず、アンジェラアキ、いきものがかりをはじめとして多くのミュージシャンの曲をカバーしているが、それぞれのオリジナルの歌にはない音の広がりやハーモニーを醸し出している演奏も多い。オリジナル曲でもバックコーラスの入っている曲は多いが、合唱ではオリジナル曲のコーラスを圧倒するほどのハーモニーを奏でることも珍しくない。副旋律もそうだが対旋律の歌声はまさに天使の歌声である。

数年前にスペインのバルセロナを旅行した時に近郊にあるモンセラットというところの修道院で聖歌隊の歌を聴いた。どこの合唱団でもそうなのだがあの澄み切った歌声はどこから醸し出されるのだろうか。自分が集団の中で歌っている時には全体のハーモニーは聞こえない。せいぜい隣で歌っているパートとのハーモニーだけだ。時には主旋律さえ聴こえない。それでも全員が声を合わせると素晴らしいハーモニーになる。

そして合唱には合奏とは違ってオリジナルと同じ歌詞がある。これはブラスバンドやオーケストラの演奏とも一味違うのだ。歌詞のストーリーを思いながら美しいハーモニーとともに心を寄せていく喜びはなかなか味わえるものではないと思う。
合唱は歌そのものが楽器だ。オリジナル曲のようにギターやドラム、ベース、キーボードのようなリズム楽器はない。ピアノの簡単な伴奏だけが合唱を引き立てる。

そういえば山下達郎さんのアルバムに「ON THE STREEET CORNER」というのがある。達郎さんが歌もコーラスもハンドスクラップも全部をほぼ一人で録音したアカペラの曲で埋め尽くされている。これはこれでいいんだよなぁ。