日本人は一体幾つになるまで自分探しをするのだろう。本来なら10代や20代のうちには自分のありようがおぼろげにも見えてきて、その中で目標に向かって人生を歩き始めていくのが健全な生き方のように思える。しかし現代、特にこの20〜30年間を見てみると「自分の子供には将来何でもやりたい道に進んで欲しい」という親の教育方針なのかできる限りのあらゆる習い事をさせて可能性を広げておこうという考え方が多く見られる。

もちろんその考え方にも一理あると思う。子供の頃に「習いたい!」と言っていた習字教室やそろばん教室、ピアノ教室(昭和中期の習い事といえばそんなものでした)に通わせてもらえなかったから書家の道に進めなかったとかピアニストになれなかった、数学が苦手になったなどと言われたら親としても後悔するかも知れない。

でもそんな時分の子供のやりたいことなどほとんどの場合は「友達が通ってるから」という理由なのだ。自分の人生設計を考えているわけではない。それにその程度の習い事ならやろうと思えば自分で努力すればいくらでも身につけられる。

バレエ教室に通ったからといって誰もがバレリーナになれるわけではないしスケート教室に行ったからといってみんながオリンピアンになれるわけでもない。それでも「可能性の芽を摘んでしまいたくない」という親は多い。しかしその可能性のほとんどは子供のためではなく、かつて自分が果たせなかった夢だったり苦労した過去の経験への対策だったりする。

子供の方から「やりたい」と言い出すことなどほとんどない。子供から言い出すのは「友達がやってるから」や「お母さんが習わせたそうだから」という親への忖度だ。子供は大人が考える以上に何倍も大人に対して気を遣っている。

放っておけば子供は自分でやりたいことを見つけてくる。それはバイクだったりロックバンドだったりするかも知れない。そんな子供を見て親は「(バイクやエレキなど)不良のやることだ」といって可能性の芽を摘んでしまう。尾崎豊のステレオタイプ(!?)から「バイク→盗む」とか「エレキ→シンナー遊び」と大人は自分の価値観だけで判断しようとする。

子供は子供なりに「自分のやりたい事は本当にバイクなのか」「エレキギターが俺の生きる道なのか」と色々と考えている。自分にはそんな根性や能力があるのか、本当にできるのかと人知れず心を悩ませている。そして多くの場合は途中で諦めて違う道を探し始める。親になどかまってもらわなくても自分なりに自分の可能性を信じて自分探しを始めている。そしてやがて自分が納得した道へと方向を定めるのだ。

しかし今の日本の教育はたくさんの可能性を示して押し付けようとする教育が蔓延っている。子供に自分で考える隙を与えようともしない。そんな子供が大人のいいなりになって30歳近くまで学校教育に浸りきっていたら世に出て自分探しを始めてもすでに手遅れになっている。可能性を広げるつもりが子供の将来の夢への目を片っ端から摘み取っている。

何となく就職してやがて定年を迎えてからやっと本当の自分探しを始める。しかしその頃には気力も体力も枯れてしまってもはや子供の頃のようにみなぎってはいないのだ。これは悲劇だと言わざるを得ない。