小学校の正門の横にロダンの「考える人」のブロンズ像が置かれていた。戦前には薪を背負った二宮金治郎(二宮尊徳)だったらしいのだが戦争中に金属を供出するために撤去されてしまったらしい。二宮金治郎はわが神奈川の英雄で金太郎(坂田金時・足柄山)や山瀬まみ(平塚)、柳沢慎吾(小田原)とともに地元の誇りである。金治郎は江戸時代後期に小田原藩の役人として財政再建に貢献したりして江戸幕府に出仕したりしたらしい。

話が脱線した。「考える人」の話だった。いやそんなブロンズ像の話でもない。もともと「考える人」というタイトルもロダンがつけたものではないという説もあるくらいだ。そもそもこの人は本当に考えているのかどうかもわからない。

何も考えずに誰かに指示されて言われた通りのことをやるのは楽チンだ。何も考える必要がないのだから、言われたことだけをやっていればいい。もちろん体力的に辛かったりすることはあるが何も考えずに目の前にあることを淡々とこなすだけなのだから実に単純な仕事だ。

一方で「好きなことをやれ」と言われると悩んでしまう人がいる。小学校の図工の時間に「この花瓶を写生しなさい」と言われると「えー、違うものがいい」などと文句を言うくせに、「じゃあ好きな絵を描きなさい」と言われると何を書いたらいいものか困ってしまったと言う経験はないだろうか。

普段は自分でも「自由がいい」と言っているしそう思っているつもりでも「じゃあ自由にしなさい」と言われると何をしていいものかわからないで悩んでしまう人は多い。ヒマがないヒマがないといつも不満げに言っているくせにいざヒマになったら「何をしていいかわからない」と文句を言いはじめる。そんな体たらくなら初めからヒマなどいらないのだ。奴隷のように言われたことだけやっていればいい。

特に日本人は誰かに指図されなければ何も行動しない人が多い。いい意味で従順なのかもしれないが自主性はあまりないように見える。自分から進んで考えてやりたいことに一所懸命に取り組むということはあまりない。それはそうだ、生まれてこのかたそんな教育は一度も受けていないのだから。学校でも職場でも先生や上司に言われたことを素直にやっていれば褒められるという生活を何十年もやってきたのだから仕方がない。

でも本当にやりたいことはないのだろうか。やりたいと思うことがあっても始める前に諦めてしまっているだけではないのだろうか。

自分の行動を自分で決められない、誰かに指図してもらわなければ何も行動できないというのは言い換えれば命令されることが好きなのだ。そんな人には本当は独裁社会が性に合っているのかもしれない。