吉里吉里人(きりきりじん)とは日本の東北地方からある日突如として独立宣言をした一独立国家の国民のことである。作家・井上ひさしの小説の中の話だ。「吉里吉里人」は800ページを超える長編小説でJRがまだ国鉄と呼ばれていた時代に出版された。その中では冒頭に独立してから1時間も経たない明け方にたまたま東北本線を青森に向かって北上していた夜行の急行列車が吉里吉里国の国境警備隊に猟銃で強制的に停車させられて乗客のほとんどが不法入国で捕まってしまい、なんとも不可思議な吉里吉里国の成り立ちや制度を経験するという物語だ。

国際法上、国家とは、領土とそこに定住する国民とその住民の意思を代表する政府があり、その国を認める他の国があれば独立国家として認められることになっている。1933年に締結されたモンテビデオ条約にはそのことが明文化されていて”国家”というものの定義として国際的に広く認知されている。

急行列車の乗客たちも最初は「なにをバカな…」と取り合おうともしなかったがその裏にある緻密な独立計画と外交戦略、政治制度が日本とは違って非常に理にかなった素晴らしい仕組みや方針であることを少しずつ見聞しながら日本国という国の矛盾点に気づき始めていく。

日本の政治や経済、医療制度などの社会福祉の根幹には常に忖度と汚職にまみれた政治家と官僚の姿が見え隠れしている。しかし吉里吉里国では国民一人一人が国家の理想を信じて役割を与えられて行動し、その発展のために尽くしている。国家の安寧と自分の幸せが一体のものとしてそれぞれの心の中にあるから自分だけが得をすればいいという考えの国民は一人もいないのだ。

吉里吉里国は大統領制をとっているがそこには議会もあり必要な官公庁も国民の誰かが担っている。卓球の国際試合を開き世界から選手を呼び、世界的にも優秀な医者と設備を揃えた病院を作り、世界中から要人や有名人が治療にやってくる。最初はバカにしていた日本政府も用意周到な吉里吉里国のやり方に手出しができなくなっているのだ。

今の新型コロナウイルス騒ぎに右往左往する日本政府の対応を見ていると突如として出現した吉里吉里国に翻弄される日本政府の姿と重なるところが垣間見える。もちろん今の日本が立ち向かっているのはウイルスであり吉里吉里国とは別次元の話だが、可能性があることはずっと前からわかっているのに実際に起きるまでは何の準備もせず、起きてからも”想定外”だと言い張ってマスクやトイレットペーパーの安定流通一つでさえコントロールできないでいる政権を情けない気持ちで眺めているしかない。しかしこの現状を作り出してしまったのは外でもない我々自身なのだということを今こそ思い知るべきなのではないだろうか。

デマに振り回されて自分で考えることをしない人間はもういらない。