アンサンブルはいわゆる”合奏”だ。ピアノやバイオリン、ギターだと複数の音や和音が簡単に演奏できるのでソロで演奏していても楽しいが管楽器というのはその構造上、基本的に単音しか出ない。だから一人で吹いていても音に厚みが出にくいのでよほど上手な人でないと曲としては聴くに堪えない。しかし管楽器も二人、三人、さらに違った種類の楽器で合奏をすると簡単に厚みのある美しい曲が演奏できる。ところが管楽器には変な特性がある。同じ楽譜を見てトロンボーンとサックス、トランペットが同時に吹いても同じ音が鳴らないのだ。

♪僕の大好きなクラリネット、パパからもらったクラリネット…♪

という歌がある。昔NHKの「みんなのうた」でも流れていた。でもそのクラリネットは壊れてしまってドとレとミとファとソとラとシの音が出ないらしい。ということはほとんどの音が出ないというのだろうか。クラリネットにもトロンボーンにもサックスにもトランペットにもホルンにもオーボエにもドレミはある。いや言い方が悪かった。それぞれの楽器にはそれぞれの音のドレミがある。しかし同じハ長調の楽譜を見て同じ音を鳴らしてもそれぞれに音の高さは違うのだ。

管楽器にはB♭(ベー)管、E♭(エス)管、F(エフ)管、C(ツェー)管などいろいろな音階のドレミを持った楽器がある。音符のハ長調のドの音を鳴らした時、トロンボーンとオーボエはピアノのドと同じ音が出る。しかしトランペットやクラリネットはピアノのシのフラット(♭:半音低い)の音が出る。つまりピアノのドの1音下、シの鍵盤の左側にある黒鍵を叩いたときと同じ音というわけだ。同じようにホルンのドはピアノのファだしアルトサックスはピアノのミのフラットである。

いちいちピアノのファというのは面倒臭いし間違いが起きるので実音階(ピアノの調律の音階)を指すときにはドイツ語のC、D、E、F、G、A、H(ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー)と言ったり英語のアルファベット読みでC(シー)やG(ジー)ということが多い。だから合奏中に指揮者がオーケストラ全員に向かって「A(エー)の音をください」と言えば誰もがピアノのラ(A)の音を鳴らすというわけだ。これでやっとみんなで合奏ができる。

でも管楽器を吹く奏者がみんなピアノと同じ調で書かれた音符を見ているわけではない。それぞれの楽器を練習するときにはやっぱりそれぞれの楽器のド、レ、ミで書かれた楽譜を見て練習するので合奏するときにも同じようにドレミを読みながら吹いている。それでも全体で合奏がうまくいくのはそれぞれの楽器によって調を替えて楽譜が書かれているからだ。ピアノの譜面に”ド”と書かれてあればクラリネットやトランペットの楽譜には”レ”と書かれているしアルトサックスの楽譜には”ラ”と書かれている。だから全体を見渡せば複雑怪奇なことになっている。

しかしアンサンブルをする時に指揮者が見るのはピアノと同じ調子で書かれた譜面を見ている。だから指揮者はスコアがハ長調ならトランペットは#が2つ付いたニ長調の譜面を見ているはずだと瞬間的にわかるようになっている。最初にそれを知ったのは高校生の時にトランペットを教えてくれたクサカベ先生がinCで書かれた譜面を見ながらピアノと合奏しているのを見た時だった。つまりトランペットの音を譜面に書かれているより1音高く吹いてピアノに合わせて初見で吹いたわけだ。はっきり言ってこれは神業である。

世の中にはこんなに凄い人がゴロゴロいるのかと思って暗澹とした気持ちになったがその後、それほどまでに凄い人に出会ったことはほとんどない。もちろんプロの指揮者や演奏家にしてみればそんなことはアタリマエなのかもしれないが、そんな人はボクら凡人の周りに早々いるわけではないことがわかって密かに安堵したのだった。

あの壊れてしまったクラリネットもピアノの譜面を見て吹いたのにピアノと同じ音が出ないことに落胆して壊れてしまったと勘違いしたのかもしれない。

今はもう楽器を触ることもなくなってしまったが、プロフェッショナルの演奏を聴くとあの時の驚きが未だ鮮やかに思い出されるのだ。