パソコンのWindowsとMacの初期設定ではマウスのホイールを回した時にスクロールする向きが上下逆になっている。どうしてそうなっているのかは知らないがWindowsからMacに乗り換えた時にはとても面食らう。なんとかならないものだろうか、

と思っていたらMacのシステム設定でスクロールの向きを逆にできることがわかった。おかげで今ではボクのMacもWindowsライクな環境になっている。
ところが、だ。これまで3ヶ月の間Macを使い続けてきた結果、ボクの体はMacの逆スクロールに順応しつつあることがわかった。今度はWindowsと同じ環境に戻したことで面食らってしまうのだ。人間というものはこんなにもすぐに環境に体を合わせてしまうのか。

実は同じような経験が過去にもある。もう25年ほども前のことだが家の車をイギリス製のローバーに買い換えたことがあった。イギリス車なのでハンドルは日本製と同じ右側(イギリスは日本と同じ左側通行)なのだが、なぜかウインカー(方向指示器)のスイッチレバーだけがハンドルの左側(日本車と逆)に付いていた。日本車だと通常はワイパースイッチのある位置である。そしてローバーのワイパースイッチは右側なのである。ウインカーとワイパーのスイッチだけが日本車と逆なのだ。

乗り換えてすぐの頃、ボクは交差点を右折するたびに雨でもないのにワイパーを動かしていた。それに慣れてきたのはやはり3ヶ月くらい経った頃である。そんな車に10年ほども乗った後に買い替えた車はトヨタのハイエースだった。今度は左折するたびにワイパーが動くようになった。乗り慣れない外車に乗って交差点でワイパーを動かしてしまう人の話は聞いたことがあるが、日本車に乗っていてワイパーを動かしてしまう人はほとんどいないに違いない。その時も慣れるまでに3ヶ月ほどかかった。

ところが両方を経験してしまった後は時折交差点を曲がろうとした時に「はて?ウインカーはどっちだったかな?」と一瞬ためらうことがある。さすがに日本車に20年近くも乗りつづけたので今では迷うこともなくなったがカッコ悪い話だ。

何事も経験は素晴らしいことだがそれが体に染み付いてしまうと恥ずかしいこともある。若い頃に小売店で接客業をしていてお客さんが入ってくると「いらっしゃいませ!」と声を出すのが習慣になっていた。社員研修で、朝の神戸・三宮の駅前で通勤するサラリーマンに向かって「おはようございます!」「いってらっしゃいませ!」「いらっしゃいませ!」と叫んだこともあった。

そして店舗に配属されてからは一日中「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と叫び続けることになる。自分がお客さんの姿を見ていなくても同僚が「いらっしゃいませ!」と声を出すと自分も「いらっしゃいませ!」と声を出す。

そんな生活をしばらく続けた後、その仕事を離れてからもしばらくはプライベートでショッピングをしている時に、たまたま入ったお店で店員さんが「いらっしゃいませ!」と声を上げると自分も「いらっ(しゃいませ)」と言いそうになってしまうのだ。一度は本当にどこかのお店で「いらっしゃいませ〜!」と大声で叫んでしまいお店の店員さんに笑われたこともあった。

習慣とは誠に怖いものである。しかしそれほどまでに体に染み付いてしまった習慣はやること自体が苦ではなくなる。いや逆にやらないと気が済まないようにさえなる。日々の面倒臭い業務も習慣になってしまえば苦ではなくなる。そのことが自分を他の人と差別化できる大きな力になることだってあるのだ。