ボクは子どもの頃から走るのが遅かった。物心ついた頃からすでに遅かったので生まれつきなんだと思う。小学校の運動会の前に同級生のリレー選手が足の遅い子に集中レッスンをしてくれたことがあったが、ボクだけはいくら練習してもまったく速くならなかった。それ以来かけっこが速くなろうと頑張ることはしなくなった。

小学校の運動会では毎回必ず徒競走があるのだがボクは常にビリから2番だった。1度に5〜6人がまとまって走るのだがいつも決まってビリから2番目だった。どういうわけかビリになったことはないのだがその訳は今でもわからない。ブービーの皆勤賞である。

ところが5年生の時の運動会では徒競走の代わりに障害物競走だった。陸上のトラックのコースの途中でネットをくぐり抜けたり平均台の上を走ったりハードルを飛び越えたりした。その時だけボクはなぜか2等賞になった。といっても同級生の友達5〜6人の中の2番である。この時も1番ではなくて2番だった。これはもう性分なのかもしれない。背丈も低かったのでクラスの中では低い方から2番目だった。きっと生まれながらに2番が好きなのだ。

次の年の運動会もまた障害物競走ならいいのにと思ったが6年生の時は徒競走に戻った。するとやっぱりビリから2番目だった。こうなるともう「安定のビリ2」である。ちょっと悲しい気分だが気に病むほどのことではない。

背が低く足の遅い子供にとって運動会は屈辱と苦痛の場でしかない。ウキウキするのはフォークダンスで好きな女の子と手を繋ぐときだけだ。しかしそれもあと3人!あと2人!次だ!と思った時に非情にもオクラホマミキサーは必ず終わる。これでは何のための運動会なのかわからない。

いま学校の体育で問題になっている組体操も体が小さくて体重が軽いからと一番上から2番目の足のすくむような場所が与えられる。もっとも下の方で頑張っている健康優良児たちも最後には自分の上に同級生たちの全体重が落ちてくるのだからどちらがラクなのかはわからない。

その後ボクの勤めた職場では幸いなことに運動会が行われたことはない。いやあったのかもしれないが参加したことはない。だから最後の運動会は東京の国立競技場で行われた代々木ゼミナールの運動会だった。その時周りがヒョロッとして痩せっぽちの青白い顔をした(と友達が言っていた)弱そうな男ばかりだったので徒競走でも早い方から2番だった。たぶんこのときが人生で最高の時だったのではないかと懐かしく思い出している。