“Do It Yourself” =「自分でやれ」とは子供の頃、家の近所にあった「日曜大工センター」という店の看板に書かれていたキャッチコピーだ。当時は材木といえば材木屋へ、ノコギリは刃物屋へ、ドライバーは工具屋へ買いに行くのが普通で今のホームセンターのような店はまだなかった。ところがボクの家の近くに偶然にもそんな店ができたのだった。

当時のボクたちの遊びのひとつは近所に建てられていた新築住宅の建築現場から木切れを拾ってきたりして思い思いのものを作る工作だったから、そのテクニック(?)が上達するに従ってだんだんと高度な工具が欲しくなる。もっとも小学生の子供に買える工具などなかったから家に帰っては「日曜大工に便利な道具だから」と両親をそそのかしては買わせていた。

日曜大工などでは特にそうだが自分で全部をやろうとするとほんの細かい部分の仕上げにも気を使うようになる。雑な仕上がりになるとどうも気になって仕方がない。お金を払って誰かに頼んだのなら払ったお金の金額に見合った仕上がりにしかならないのは納得できても、自分でお金を掛けずにやろうと思った時の方が仕事の出来が気になってしまうのは不思議なものだ。

普段の仕事でもそうだが、頼まれた仕事は頼まれたことしかやらないのが普通だ。それ以上のことをやってもいいことがあるわけでもないし見返りが増えるわけでもない。しかし自分でやりたくて自発的に始めたことにはこだわりがある。最初に出来上がった時の姿を想像してから仕事に取り掛かるからかもしれない。出来上がったものが自分が最初に思っていたものより劣っていれば「こんなはずじゃない」と思ってやり直したくなる。その結果、自分の理想に近いところまでクオリティを上げようと思うのだろう。

お金を払って(払わなくても)誰かに頼んだ仕事が自分が想像していた以上の仕上がりになっていたらそれはもう驚きだろう。払った金額に見合うだけのものが出来上がってくることさえ稀なのだ。普通は払った金額にも満たないような劣悪な未完成品が納品される。そしてボクたちはそれがアタリマエだと思っている。あまりにも見劣りする劣悪な出来なら苦情を言ったり「もう二度と頼まない」と思ったりするが、大抵は我慢して泣き寝入りする。

逆に頼んだ以上のものが仕上がってきたら「素晴らしい!」「ワンダフル!」と思わないだろうか。自分はあれっぽっちのお金しか払わなかったのにその何倍もの価値を返してくれた人を尊敬し好きにならないだろうか。もっとも何の見返りもないのにあまりにも立派なものを返してくれる人には「何かあるんじゃないか?」と疑ってしまうようなゲスの勘ぐりをしてしまうほどに僕たちの心は荒んでしまっているのだが。

逆に言えば頼まれた以上のことを常にやる習慣を身につけることは信頼を集めるもっとも効果的なやり方なのではないだろうか。最初は疑いの目で見られていたとしてもそのあなたの行動が終始一貫したものだとしたら、やがて周囲の人はあなたのことを信頼して集まってくるに違いない。そのためにはある程度長い時間が必要になるかもしれない。おそらく最初は「今だけだよ」「そのうちにメッキが剥がれるさ」などと悪口を言っていた人さえ、自分のことを好きになりはしなくても悪意を持ったりすることはなくなるのではないかと思う。

見返りだけを目的に仕事をするよりも「誰かがもっと喜んでくれるかもしれない」と思って相手が期待する以上の結果を作り出すことは自分にとってもやりがいのある楽しい仕事になるのではないかと思うのだ。