テレビの討論会やニュースの解説などでゲストに呼ばれた”自称文化人”や”知識人”と呼ばれている人たちが今、身の回りで起きている事件や社会問題なのについてコメントを求められると、「いやぁ〜、これは難しい問題で簡単に解決するのは難しいでしょねぇ」などともっともらしいことを言っている。でもちょっとでも考えれば「問題になっている」ということはすべからく解決が難しいから問題になっているわけで、簡単に解決できるようなことならそもそも問題になどならない。つまり「これは難しい問題で…」などと答えるようなコメントには意味がない。

テレビなどに出てくる”文化人”などと呼ばれる人たちは何をもって文化人などと呼ばれているのか根拠が曖昧だ。何かの事柄についてコメントを求められたとしてもわれわれ一般人が新聞やテレビ、ネットで手に入れられる以上の情報を持ち合わせていることはごく稀だ。たまに突っ込んだコメントをしているように見えてもそれはただの憶測に過ぎないことが多く事実関係が証明されていないことがほとんどである。

しかしテレビの視聴者やネットを見た人の多くはそのコメントを鵜呑みにして”事実”だと思い込んでしまう。特に新聞に書かれてあることだとすぐに信じ込んでしまう傾向が強い。それほど印刷されて証拠が残ってしまうという特性を持っている”活字”というものの影響力は大きい。

世に出回っている情報には必ず発信元がある。確かな情報スジもあればある程度信用できるものからガセに近いものまで様々だ。特にネット上に拡散される情報の多くには何がしかの”ウソ”や”作為”が含まれている。敢えてその情報を取り上げて拡散することで”誰かが”得をするように仕組まれている。ネットの裏ではまず間違いなくカネが動いている。誰も得をしないのならカネが動くわけがない。昨今の自民党国会議員たちの汚職事件を見てもすぐに推測できることだ。

「一切やっていません!」とシラを切れば切るほど「こいつは絶対にクロだ」と思いたくなる。火のないところに煙は立たない。裁判の結果無罪になったとしてもやっていないわけではない。「疑わしきは罰せず」の原則があるから実際にはやっていても確実な証拠さえ掴まれなければクロにはならないというわけだ。裁判でクロになるような国会議員はよほど脇が甘いと言われても仕方がない。

テレビやラジオでの発言やネットの書き込み、週刊誌の記事などで与党議員を追求する野党議員の姿もよく報道されるが、最後まで追い込めないような出来事で大騒ぎすることで自分たちの威厳を地に落としていることに気づいていない。そんな尻の軽いばかり議員しかいない野党に政権を任せようという国民が少ないのも致し方ないのかなと思うのだ。