横須賀にいた頃、ボクの住んでいた新興住宅地(当時)は古い年代の粘土でできた山の上の高台にあった。家の周りにはまだ空き地が目立ち隣の家までの距離は100m以上はあった。通っていた小学校までは子供の足で歩いて1時間ほど、電車を使っても45分はかかった。だからボクたち住宅地に住んでいた小学生には学校の近くと家の近所の二つの文化圏を行き来して生活していた。

学校は半世紀も前の昭和40年代でも創立100年ほどになる明治時代に建てられた学校で校舎はすべて木造だった。元々は旧海軍の兵舎だった土地に建てられたそうで床下からは大砲の不発弾なども見つかるような古い学校だった。学校の周りには古い住宅地や商店街などもあって新興住宅地のソレとはかなり趣が異なっていた。

学校の正門の前にはこれまた古くからある文房具屋があった。近所には他にも文房具屋や駄菓子屋、魚屋、肉屋、八百屋などの商店がある古い街並みが広がっていた。
当時の放課後のボクたちの遊びといえば学校近くに住んでいる友達と校庭で草野球、ドッジボールなどをやるか、家の近所まで帰ってきてから空き地で野球をしたり建築途中の家から廃材をもらってきては工作をするのが常だった。また当時の住宅地内は通る車もほとんどいなかったので道路はすべて子供の遊び場だった。

道路で何をして遊ぶのかといえば♪ケンケンパッ…♪だったり缶蹴りだったりまわり鬼だったり、今考えても昭和40年代の単純で泥臭い遊びだ。中でもまわり鬼やケンパーは道路に線を引かなければいけないので都会の(学校近くの)子供は道路に絵を描くのに蝋石(ろうせき)を使っていた。蝋石とは5センチ×2センチくらいで厚みが5ミリくらいの蝋が含まれた(と思う)柔らかい石だ。これを使って舗装されたアスファルトの道路を擦ると蝋石が削れて白く跡になるという落書きのできる石だ。1つ5円か10円くらいで売っていたように思う。だから学校近くの文房具屋や駄菓子屋では蝋石を売っていた。

でもボクの家の近くの空き地では「コンコン石」と子供が呼んでいた柔らかい石がそこら中に落ちていた。粘土状の土が固まった柔らかい石でコンコンすると簡単に割れるのでコンコン石と呼んでいたのだと思う。岩のように大きなコンコン石もアスファルトに投げつけると簡単に砕けて使いやすい大きさになった。コンコン石もアスファルトやコンクリート、ブロック塀に擦り付けると字や絵が簡単に書けた。粘土なのでちょっと黄土色のイケてない田舎臭い色なのだがなんといってもタダだしどこにでも落ちていたので重宝した。

だからボクを含めてその住宅地で遊んでいる子供は店で蝋石を買うことはなかった。蝋石など使わなくてもコンコン石がいつでもどこでも簡単に手に入るのだから。だから小学校の近くとは違って家の近くの駄菓子屋には蝋石は置いてなかった。置いておいても誰も買わないのでは仕方がない。

しかし学校の近くまで行くとコンコン石はまず見つからないのだ。だから学校の近くに住んでいた友達は道路に落書きをするためには蝋石が必需品だった。はるばると山の方まで遊びにきた時には「お土産にする」と言ってコンコン石を持って帰るほどだった。そしてコンコン石の大きな特徴は雨が降ると書いた落書きが綺麗さっぱり消えてしまうということだ。

蝋石は雨が降っても書いた跡が水を弾くからなかなか消えないのだがコンコン石の跡は粘土なので簡単に消えてしまう。雨が降った後には道路に書いた落書きは綺麗さっぱり消えてしまっていた。だから近所の大人たちも道路や塀に落書きする子供を叱ることは(あまり)なかった。

50年も経った今頃になってどこにでもあったあの頃の遊び道具の素晴らしさに気づくとは迂闊もいいところなのだが、ほとんど空き地もなくなってしまったかつての新興住宅地には今でもコンコン石は残っているのだろうか。