仕事をしていても趣味であっても途中でそれを中断するときに日本人なら「区切りのいいところまでやっちゃうから」とすぐに作業を中断しないことが多い。仕事の段取りを考えるとその仕事を再開するときにはもう一度準備から始めなければいけないのでその手間を考えれば同じ段取りの中で区切りのいいところまでやってしまった方が効率がいいと多くの人は考えるだろう。でもそれだけなのだろうか?

例えば商店で閉店時に行うレジ締め作業。レジの中のお金を数えてその日の売上高を確認して金額が合うかどうかをチェックする作業だ。そのためには最初にレジのお金を取り出して数えるところから始めるのだが、お札は10枚ずつ束ねて数えやすくしておき、小銭はコインカウンターというプラスチックの小銭集計器に並べていく。ボクが勤めていた店にはコインカウンターがなかったので1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉をそれぞれに10枚ずつレジの前に積み上げて数えていた。

閉店間際でもそんなときに限って急にお客さんが列を成してやってきて買い物をしていく。一人二人のお客さんなら普通にレジを打って積み上げた小銭の中からお釣りを渡せばいいのだが、五人も十人もまとめてやってくると売上も大きく変わってしまうし処理に時間がががるのでレジ締めは一旦ご破算にして最初からやり直さなければならない。それまでにやっていたレジ締め作業の時間はすべて無駄になってしまう。レジ締め作業さえ終わっていればその後の売上は翌日分に回してしまえばいいのでどうということはなくなるわけだ。

だから閉店近くになるとお客さんが切れて誰もいなくなった頃合いに素早く処理してしまおうとする。お金を数え始めてその日の売上と付き合わせて合計額がピッタリ合うのを確認するまでが一つの区切りになる。それなら論理的にも区切りのいいところまでやってしまおうとする気持ちもよく理解できる。ところが途中で作業を中断しなければならない事態が起こって最初からやり直さなければいけないことが明らかなのに「このお札を数えちゃうまではやる」などとこだわりたくなってしまうことがあった。中断すればどっちみちお札はもう一度数え直さなければいけないのに無駄な作業だとわかっていても”区切りのいいところまで”やりたくなってしまうのだ。

この精神状態はどうしたものだろう。あなたにもそんな経験はないだろうか。強いて言えば「オレの美学が許さないから」というような気分である。”ちゃんとする”ことはボクにとっては一つの美学だ。中途半端な状態でやりっぱなしにしておくことはなんとも気分が悪い。丸めた新聞紙が片付けられずに部屋の中に転がっているような感覚にとらわれてしまう。それは単にボクが面倒臭いヤツだからなのだろうか。こればかりは直そうと思ってもどうにもならない性癖なのである。