若い頃は休みの日ともなれば何時まででも寝られたものだが、最近では「寝坊しよう」と思っていても一定の時間になると必ず目が覚めてしまってそれ以上寝ようと思ってももう寝られなくなってしまう。

それはもしかしたら自分の中に「寝坊は悪いこと」という刷り込みがあって、寝坊をすることが誰に対して悪いというわけではないのだが、強いて言えば”お天道様(おてんとうさま)に申し訳ない”と思ってしまうところがあるからかもしれない。

刷り込みとはよほど根深いもので、仕事をしない、酒を飲む、博打をするのはまだ一般的だとしても、ラーメンを食べる、甘いものを食べる、肉を食べることにすら”罪悪感”を覚える人がいるのだという。

ものを食べることにすら罪悪感を感じるとはどういうことだろうか。世間の健康志向が高まることで肥満やそれに伴う高血圧、糖尿病の原因とされていることと、痩せていることが美徳だという日本人の価値観も関係しているのかもしれない。

甘いものや高カロリーのものを多く摂取した上に運動もしなければ必要以上に太ってしまうだろう。しかしある程度のカロリーやエネルギーの元となる糖分は必ず取らなければ生きていくことすらできない。

 ”太っていること=悪”

という世間全般の流行や思い込みが”悪いことをしている”と思わせているから罪悪感を感じるのだ。

日本や韓国以外の国では必ずしも肥満=悪ではない。こんなにも体脂肪率を下げることに夢中になって体重を落とすことに躍起になる国民は珍しい。世界を見渡せば、太っているということは食べるものに困らないという”お金持ちの証”だと思われている国も多い。

今から40年程も前からアメリカのホワイトカラーの間では肥満と喫煙が槍玉に挙げられていた。健康を害することがわかっているのにそれをやめられない人間は自分を管理する能力のないダメ人間だと見なされてエリートの出世街道からはじき出されるのである。

やがてその思想は日本でも取り入れられて現在に至っている。それが証拠に一流企業が集まる都心のオフィス街では喫煙者や肥満の人を見かけることが非常に少ない。今ではお腹周りが太っているというだけで落伍者の烙印を押されかねない時代だ。

そんな住みにくくなった世の中を生き抜くためにボクも普段から罪悪感を感じないように節制しているつもりなのだが、ポッチャリとしたボクのお腹周りはなかなか思うようにいうことを聞いてくれない。しかしそんなことでせっかくの人生が楽しくなくなってしまうのなら、そろそろわがままを解禁して放蕩の限りを尽くしてみようかとも思う今日この頃である。