都市部に住む子供たちは中学校を卒業したあと当然のように高校や大学へと進学し、なかには大学院に進む子供も多い。最近では高等教育無償化が議論され、大学の授業料までタダにしたらどうかという声まで上がっているというが、今の時代に高校までの無償化はわかるにしても大学まで無償化しようという方針には全く賛成できない。経済的格差で教育にまで格差がついてしまうのを防ぎたいという趣旨は理解できるが大学教育は全ての人にとっての必要条件では決してない。

かつては義務教育の中学校を卒業したら社会に出て働くというのが一般的だった。それがボクらの時代にはほとんどの中学生は進学して高校に行くようになり、ボクの中学のクラスでも50人中49人が進学し、中卒で社会に出た友達は1人だった。その友達とも最近になって何度か会う機会があったが、高校や大学に進学した他の友達となんら変わらない人生を送っている。

ボクのいた高校では大学進学率は4割くらいで卒業後は就職した友達も多かった。バブル真っ只中の時代で大学はもはや勉強するところではなく、サークル活動などで遊びまわって青春を謳歌するところになっていた。特に経済学部の友人などは学校に通うための定期を持っていなかった。つまり定期を買うほど頻繁に学校に来なかったということで週に1〜2日しか講義に出なかったのだという。こんな態度で大学に進学したところでなんら社会の貢献できるはずがないし大学で身につくものもない。そんな学生を税金を使って大学に通わせる必要などない。大学教育で社会に貢献できる人間を経済格差なく育てたいなら、厳格な審査のもとで給付型の奨学金を充実させることに注力すべきだと思う。

最近の新卒社員を見ていると大学院卒の学歴を持っているものが多い。大学院を出るとなればその頃には30歳近くになっている子供(?)もいる。30歳の新入社員だ。最近の政府は盛んに人生100年と謳っているが実際のところの寿命は80年前後である。つまり80年の人生のうち30年間は学校にいることになるわけだ。80歳まで働けといっても実際のところはほとんどの企業で60歳が定年であり、その後は社会の中でも活躍できる機会は大してないのが現実だ。中卒で社会に出ていた昭和30年代以前には15歳になると社会に出ていたことになるから15年遅れの社会人生活のスタートである。今のように30歳近くまで学校にしがみついていては15年間のハンディを背負ったフレッシュマンにならざるを得ない。

一番パフォーマンスの高い若くて体力のある時期を社会に貢献することなく学校で遊んで過ごしてしまうのは本人にとっても社会にとってもいかにも勿体無いと思う。これは社会にとっても大きな損失と言わざるを得ない。国際社会における日本人のパフォーマンスの停滞が懸念されているがそれは一部のトップエリート層の停滞ではなく初等・中等教育の停滞である。それらは決して大学で学ぶものではなく家庭や小学校・中学校、遅くとも高校で学ぶ次元の話だ。それを大学教育にまで先送りしようとしてきた日本の教育行政の失敗なのだ。

「俺は大学に行っている時間がもったいないから早く社会に出て経験を積みたい」という子供もいる。まさにその通りだと思う。大学に行って真の意味での高等教育を受けることがその子にとってのパフォーマンスを高めることもあれば、大学など行かず経験を積むことで人生を豊かにできる子もいる。それを経済格差と結びつけるような短絡的な考え方をしていては日本の不毛な学歴社会はいつまで経っても改善されることはないだろう。