運が良かったのかボクは子供の頃から視力だけは良く近視になったことはない。今でも若干の乱視はあるが視力は裸眼で概ね1.0から1.2程度をキープしている。だからずっと眼鏡とは縁のない生活をしていた。ところが10年ほど前から次第に近くのものが見えにくくなってきた。まず本が読めなくなり、新聞が読めなくなり、スマホが見にくくなり、パソコンの字がボヤけるようになった。そして今ではれっきとした真性の老眼である。

本を読むとき、パソコンを見るとき、スマホを見るときなどそれぞれの用途にあった度数の老眼鏡を使い分けて生活している。だから家では手に届くところに2〜3個の老眼鏡が置いてある。仕事机の周りはもちろん居間のテーブルやキッチンの棚の上にも寝室にも、字を読みそうなところにはすべからく配置している。
普段の生活では眼鏡は必要ないのだが出かけた時にはどこで必要になるかわからないので、バッグの中にはそれぞれに100均の老眼鏡を1つずつ入れてあってどんな時にも老眼鏡を忘れないように心がけている。

子供の頃から40年以上も眼鏡とは無縁の生活をしてきたので看板や物が”見えにくい”とか”読めない”という経験は全くしてこなかった。それがひとたび老眼になると生活の一部が盲目のようになってしまって不便この上ない。もちろん眼鏡をかければある程度は見えるのだからこの程度で文句を言うべきではないとは思うのだがやっぱり不便である。
近視で眼鏡をかけている人は老眼になっても近くのものを見る時には眼鏡を外してみればある程度は見えるのだという。普段の生活で眼鏡が必要ならどんな時にも忘れることはないだろう。だから近くを見るときだけ眼鏡を外せばいいというのはとても便利なように思う。

それなら老眼者も普段から老眼鏡をサングラスのように頭の上に乗せておけばいいじゃないかと言われそうだが、たまにしか使わないものを普段から身につけているのも煩わしいので今のところやってはいない。やってはいないがもし便利で手頃な商品があったら試してみたいと思っている。

若い頃には目が悪くなるということが感覚的に理解できなかったが、実際に自分がその立場に置かれてみると身に沁みてその不便さを感じるのだ。