大型で猛烈な台風が過ぎ去った翌日、ボクは家の近くの河川敷に川の様子を見に行った。ヤジ馬根性が出てしまうのは何とも抑えがたいものである。幸いなことにこの辺りでは河川の氾濫もなく大きな被害は出ていないようで、河原には多くの人が同じように様子を見に来ていた。河川敷にあるグラウンドはすっかり冠水してしまっていた。川の水量は増し濁流となっていたが幸いにして堤防を越えることはなく大きな被害は出なかったようだ。

河川敷にはペットボトルなどのゴミが山のように流れ着いて堆積していた。枯れ枝や木材に混じってペットボトルなどのプラスチックごみも多くみられた。そのプラスチックはやがて海に流れ込み、微細な海洋プラスチックとなって自然環境に大きなダメージを与えることが分かっている。そのことは地球規模で問題になっており、排出される量は年間で全世界3500万トンともいわれ、その6割がアジア諸国からの流出である。その中にあって日本の占める量は5万トン程度とリサイクル先進国のように考えられているが、実際に目にする状況はそんなものではないという印象だ。

ボクがSNSに投降したその写真を見た友人から「拾わなかったの?」と言われた。考えてみればその日、ボクはそこにあるゴミを拾おうともしなかった。あとになって「そうだよね、拾うべきだったよね」と思ったが、「あの時はゴミ袋を持っていなかったし」「もう夕方で陽も暮れそうだったし」「サンダル履きで足を怪我しそうだったし」「他の誰も拾ってなかったし」「ごみ箱も近くになかったし」「ゴミ袋も用意してなかったし」「家まで拾ったゴミを持ち帰るのも大変だし」などとやらなかった言い訳を星の数ほども並べて自分を正当化していた。

ゴミ袋がなくたって手に持てるだけでも拾うことはできたはずだ。陽が暮れそうでもごみを1つ2つ拾う時間がないほど切迫してはいなかった。他の誰も拾っていなかったとしてもゴミを拾うことが禁止されていたわけではない。要するに自分の手を汚したくなかっただけだ。面倒くさかったのだ。「拾わなかったの?」といった友人は日頃からボランティアなどで環境への努力を惜しまない人である。しかしその日ボクはやらなかった。

キレイゴトを口にすることは簡単だ。しかし行動する勇気はなかなか湧かない。誰もが動いていないところでも自分がまず最初に行動することが大切だったのだ。古来から中国では「まず隗より始めよ」という諺がある。諺の意味する元の意味はこの内容とは全く違うのだが「大きなことを成そうと思ったらまずは小さなことから始めなさい」という意味では同じことを言っている。

自分がやらなければ他の誰も行動しない。最初に誰かが行動しなければ後に続く者は出てこない。それはたぶん自分なのだ。理屈を捏ねても人は動かない。人を動かす力は自分の行動しかない。でも自分一人で行動を始めることは思っているよりずっと難しい。