朝の情報番組のなかで「名前のない家事」という特集をしていた。家事といえば主に炊事、洗濯、掃除などが挙げられる。お父さんたちには朝のゴミ出しは一般的だろうし、洗濯だって洗った後には干さなければいけない。料理も作って食べ終われば食器洗いが待っている。どれもそれなりに大変なことだ。しかし今回話題にするのはもっと些細で細かい、一つ一つを取ってみれば取るに足らないようなことである。

暑い夏の日、喉が渇いて冷蔵庫を開けて見たら冷やした麦茶がボトルの底に残り1センチだけ残されて入っていた。「誰だよ!飲み終わったら作っておけよ!」と思ったことは1度や2度ではないはずだ。でも自分が逆の立場だったら… (ちょっとでも残しておけば最後まで飲み切ったことにはならないから次の人が作ってくれるだろう)と思うのではないだろうか。そうこれが「名前のない家事」だ。

トイレに入ったら紙がなかった。「お~い、紙がないぞ~!」などというのは昭和の話だが、脱いだ靴下をそこら辺に放置する、脱いだシャツを裏返しのままランドリーかごに放り込む、玄関に靴を脱ぎ散らかしたままにするなどなど、これらはその後で誰かが処理してくれているから生活が保たれているのだ。ボクが一人暮らしを始めた頃、朝、コーヒーを飲んだカップをそのままにして家を出たら、帰ってきた時にそのカップが1ミリも動くことなくそのままの形でそこに置かれていたことに感慨を覚えたことがある。全く動いていない! もっとも動いていたらそれはそれで怖いことだ。

自分がやらなければ何も変わらない。自分が片付けなければお皿やコップが自分で流しに行って綺麗になって布巾で水けを取って食器棚に戻ってくれることなどない。ご飯が自然に出来てくることもないし、洗濯物が勝手に自分を洗濯して物干しに行って干して、綺麗になって畳まれてタンスに収まることもない。全部誰かがやってくれているのだ。

買い置きがそこにあるのに「シャンプーがもうないよ」などというのは「シャンプーを補充しておけ」という依頼、いや命令と変わらない。自分でできないのかといえば幼児ならいざ知らずいい歳をした大人にできないはずがない。面倒くさがっているに過ぎない。

「くだらない、そんな簡単なことくらいやってくれてもいいじゃないか」と人は言う。そんな”くだらないくらい簡単なこと”をあなたはなぜやらないのか? トイレットペーパーの補充とか脱いだ服を裏返して洗濯かごに入れるとか冷蔵庫の麦茶がなくなったら入れ替えて新しく作っておくとか、そういうちょっとしたことを面倒くさがってやらない人(特に男と子供)が多いことを番組では問題にしていた。

洗面所で顔を洗えば水滴が鏡や洗面台を濡らす。放っておけば自然に乾くがそこには水滴の跡が残る。何日も何か月もそのままにしておけばいずれは簡単に拭いただけでは落ちないような汚れになる。それを考えて毎日マメに掃除している人がいる。みんながほんの少しずつ”くだらない簡単なこと”をしてくれればママたちのイライラや虚無感はずいぶんと軽くなるのだと言っていた。反省することしきりである。