先日、ある人のエッセイを読んでいたら、「戦中戦後の時代を生き抜いてきた焼け跡派の世代は強いと思っている人が多い」という話があった。確かにオイルショックが起きた時にも時の中年世代が「我々の世代は欠乏に強い」などと言い「どんな不況だって俺たち世代は生き抜いちゃうんだ」と気焔をあげて妙に元気になった。「食べる物もなく空襲に苦しめられる中を生き抜いてきたんだもんねー」と俄然元気なのだという。もっともこの本が書かれたのは30年以上も前なのでその頃張り切っていたオジサンオバサンももう老境にいることだろう。

たしかにその世代は多くの人が戦中戦後の生活に苦しんだに違いない。「さつまいもとカボチャばっかり食っていた」とか「白米なんて食えなかった」なんていうボヤキを子供の頃にはさんざん聞かされた。「食べ物を粗末にするな」「食べ物の好き嫌いを言うな」「食えるだけで幸せだと思え」とはボクらの親世代の決まり文句だった。だから同世代の友達と旅行に行って駅弁なぞ買って列車の中で食べ始めると、みんな一斉に黙々と蓋に付いたご飯粒から食べ始めている。

先日、千葉を襲った台風15号の被害の後、台風被害ではなく我がままを言う老親に辟易させられたというある作家の人のコラムを目にした。自宅の周囲では停電や断水が続きみんなが苦労している中、幸いにも停電も断水もしなかった自分の家で90歳を過ぎた父親に、屋根のテレビアンテナが傾いてしまっていたために「相撲中継の画面が汚いからすぐに何とかしろ」だとか「(トイレの)ウォシュレットの水の出が悪いからすぐに業者を呼べ」などと言われて辟易したという話だ。周りのみんなはもっと酷い苦労を強いられているのだ。やっとのことで開いているスーパーを見つけて何時間もかけて買ってきたヨーグルトを食べた母親に「なんかコレ、美味しくない」と文句を言われて(いいかげんにしろ!)と思ったのだという。

その人たちは見まごう事なき戦前・戦中・戦後を生き抜いてきた”苦労人”のはずだ。どんな苦労だって平気な”強い世代”だったはずだ。しかし考えてみればそれは彼らが子供だった頃の限られた期間だけであって、その後の高度成長期やテクノロジーの恩恵を受けた便利な生活を送ってきた時間のほうがはるかに長い。そんな中ですべての人は弱くなっている。そういう意味で今の日本人は全世代型のひ弱人間になのだ。

そういうボクらだって子供の頃には白黒テレビしかなく携帯電話もインターネットもなかったとはいえ、物心ついて仕事に就いてしばらくした頃にはポケベルや携帯電話が普及し始め、もうちょっとしたらインターネットが使えるようになり、10年ちょっと前からはスマホ三昧の生活を送っている。50年前には時々起きていた停電や断水など考えられないような生活にどっぷりと浸かっている。調べ物もインターネットを使えばちょちょいのちょいだ。

今の時代の中で昔の生活をしろといわれれば間違いなく「無理です」というに違いない。いや現実に無理なのだ。10年ほど前にテレビがハイビジョン放送に変わったとき「そんなに綺麗にしたってねぇ」などと言っていたが、今になって昔の番組を見ると「これは見るに堪えないねぇ」などと平気で言ったりする。もう誰も不便な生活になど戻れない。実にまいったことだがそれが現実だ。

恐らく近いうちにボクも何かの災害の被害を受けるに違いない。その時にその現実をどう受け止められるのか、まったく自信がないのである。