先日、とある予備校の講師をしていた先生が亡くなったという記事を見た。ボクも学生時代にその人の授業を受けたことがあった。金ぴかのブレスレットやネックレス、ロレックスの金の腕時計に大きな赤い薔薇の刺繍が入った黒いブラウスで授業をするようなちょっと変わった人で、予備校内はもとよりマスコミにも取り上げられるようになった当時はちょっと話題の人だった。当時から生活は派手だったらしく有名なドイツ製の高級外車を乗りまわしていたがその人が亡くなったらしい。最期は往時の面影もなく、生活保護をうけて介護生活を送った末の孤独死だったらしい。
数か月の間、受験勉強の講義を受けただけでその後はご縁もなく、もう名前も顔もほとんど忘れていたのだが件の記事を見てあの頃のことを急に思い出したというわけだ。

一時期お金持ちだったり有名人だった人がマスコミから姿を消していくことは日常茶飯事だ。今売れている芸人もそのほとんどは1~2年で名前すら聞かなくなる。人気商売とは得てしてそんなものなのだろう。そして数十年の時が過ぎて「あの人は今」などという芸能スキャンダル特集に登場するのだ。

その没落していった有名人や大富豪のみじめな姿を見て、有名ではないお金持ちでもないほとんどの庶民はみんなこぞって留飲を下げるのだ。没落していった人を見て優越感を味わいたい。その人がかつて裕福で有名で恵まれているように見えれば見えるほど、ギャップの大きな没落に歓喜の声を上げる。自分とは何の関係もなくその人が成功したために自分が被害を受けたわけでもないのに、失敗して没落していった(ように見える)その人を斜め上から見下ろすのだ。

そんな状況を見ると「ざまぁ!」などと言う人が必ず現れる。ざまぁみろというわけだ。分不相応に贅沢で恵まれた生活をしていたのだからバチが当たって当然だと言わんばかりに…。自分が成功できない原因は自分の努力不足や怠慢なのにそれを誰かのせいにしたがる。だから他人の失敗を見ると罵声を浴びせる人が必ず出てくる。傍から見るとゲスなただの悪趣味でしかない。そんなことばかりしていれば逆に自分の下品さをアピールすることになるのだ。

自分が恵まれないことをアカの他人のせいにしても何も解決しないし、バチが当たっているのは逆に自分のほうかもしれない。そうやって他人の不幸を喜ぶようなことをしていれば神サマだってバチを当てたくもなるに違いない。ボクもそんな気分になることがないわけではないが、お天道様はいつも空の上からすべてお見通しなのだ。ちょっとでも油断すればすぐにバチが当たるに違いない。くわばらくわばら。