択捉、知床といえば北方四島の一つと世界自然遺産にもなっている北海道東部の半島だ。先日、友人からこんな話を聞いた。東京にある「どさん子プラザ」という北海道のアンテナショップを訪れていた30代くらいのカップルの女性が「択捉」という名前を見て「なんて読むの?」と相手の男性に聞いたらしい。男性は「しれとこ」と答えたという。30歳を若者と呼ぶかどうかはさておき最近の若者”あるある”だ。まぁいい、択捉も知床もアイヌ語の地名に漢字をあてた当て字だ。分かりにくい名前には違いない。北海道の地名は長万部(おしゃまんべ)や占冠(しむかっぷ)、留辺蘂(るべしべ)といった読みにくい名前も多い。しかし事は北方領土と世界遺産だ。これは常識と言っても過言ではないだろう。

最近の子供は”戦後”といっても何のことだかわからない子もいるという。太平洋戦争を知らなかったり原爆や空襲のことを知識としてすら知らない子がいるというのだから、日本の教育という以前に親は何を躾けてきたのだろうと呆れてしまう。そんな子供だから非常識が常識になってしまう。

ダイヤル式の電話の使い方を知らなかったり水道の蛇口をひねることを知らなければ日常生活に支障をきたすこともあるだろう。トイレに入って和式便所の使い方を知らなければいざという時には大惨事になりかねない。まぁいい、それは本人の問題だ。この30年ほどの社会の変貌は驚くほど速いが、いくらなんでも子供が生まれる以前のことを親が全く教えなかったり子供自身が知ろうともしないというのもはかがなものだろう。そこには”お受験”よりも遥かに大切なことがたくさんあるはずだ。もっとも社会に出てから辛い思いをするのは他でもない自分自身なのだから自業自得である。
すべては親と本人の自覚の問題なのだから他人がどうこう言う問題ではない。せいぜい頑張って生きて欲しい。

2025年は昭和100年だ。ボクが子供の頃には「明治100年」だと騒がれていた。明治100年は1967年だ。当時はまだ明治生まれの人が普通に生きていたから明治という時代に対する思い入れも深かったのだろう。近代日本の幕開けとなった時代なのだから当然かもしれない。高度成長期だった昭和40年代の社会を見て年寄りは「明治は遠くなりにけり」と言っていた。戦後20年を経て昭和の日本は大きく変わろうとしていた。

徳川幕府の時代から明治維新を経て大正・昭和への時代もきっと激動の時代だったに違いない。日本人の価値観を180度変えてしまったという太平洋戦争はとてつもなく大きな出来事だったはずだ。そんな激動の上に今の日本は建っている。択捉・国後(くなしり)・歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)を含む北方領土問題も太平洋戦争のありがたくない置き土産だ。そのことを「テストに出ないから」ときれいさっぱり忘れてしまってもいいものだろうか。教訓はいつでも自分自身に”反省”を促してくれる。