友人たちの間で実家での終活が流行っている。

流行っている?

いや、やりたくてやっているわけではなさそうだ。止むに止まれず仕方なく運命の悪魔にやらされているようにも見える。友人たちのSNSにはゴミ屋敷のようになった作業中の部屋の写真が連日掲載されている。聞くところによると問題の多くは片付ける肉体的な作業よりも、「捨てるか捨てないか」というそれ以前の意思決定の問題らしい。

特に高齢者は何でもかんでもとっておきたがるのだそうだ。曰く、

「これモノはすごく良いんだから…」
「いつかまた着るかもしれないから…」
「これは新婚旅行で十和田湖に行った時に買ったもので…」

きっと良いモノなんでしょう。でも使わないものは良いモノでもいらないんじゃ…。
多分もう二度と着ることはありません。それ着てどこに行こうというのですか?買い物に出かけるのすら億劫がっているのに。
新婚旅行?そんなものがよく残っていたものですね。もういいでしょう(笑)

使いもしない、これからの短い人生に必要のないものでも何となく持っていたくなる心理、捨てられないでいる気持ちはわからなくもない。でもカード会社のCMでも言っているではないか、「モノより思い出」と。モノはなくても綺麗な思い出だけを残した方が嫌なことは思い出さずに済むかもしれない。とにかくその全てが断捨離の敵だ。

人は老いも若きも、サラダのドレッシングでもしゃぶしゃぶのつけダレでも、自分の好みでもなく使いもしないのに、レストランに行くとできるだけ多くの種類を手元に置きたがる。車を買う時には要りもしないオプションをセールスマンの言いなりになって注文する。「これ付けておくといざという時に便利ですよぉ〜」。そして決まって「せっかくだから」という。しかしいざという時はほとんどの場合に訪れない。

多くの日本人は「自分は自由でありたい」と思っている。自由でいるためにはたくさんの選択肢を持っている方がいいと思っている。中卒よりは高卒、高卒よりは大卒、せっかくだから大学院に行って博士になりたい、と際限がない。その挙句に実家の酒屋を継いだりする。確かにたくさんのお勉強をした方が教養は増えるかもしれない。しかしそのために酒屋をうまく経営するための経験を積む時間を捨ててしまうことになる。

「せっかくだから」のせいでせっかくの時間と機会を無駄にしてしまっては、それこそモッタイナイ。