毎日々々、星の数ほどある事件事故の中から選ばれて報道されるニュースって何なのだろう。先日来高齢者が運転する車の暴走事故が起き幼い子供の命が奪われて以来、連日のように同様の暴走事故の話題がお茶の間に流れている。以前なら全く報道されなかったような小さな事故に至るまで、高齢者の運転ミスというだけで全国ニュースになる。ニュース番組も視聴率争いに巻き込まれているらしい。民放ではニュースといえどもスポンサーがつくのだから仕方ないといえば仕方ないことなのかもしれない。

数ある事件事故の中でどれを選んで報道するかだけで世論を動かすことはできる。視聴率争いによるブームもあるのだろうが、「高齢者の交通事故」「ひきこもり患者の犯罪」「飲酒運転による事故」「熱中症」「豪雨災害対策」「南海トラフ地震」「原子力政策」などがここ最近のトレンドだ。一時は連日報道されていた「コンビニ24時間営業の強要問題」についてはほんの一時的に大騒ぎされたが、あっという間に報道は下火になって世間的にはすでに決着して解決されたのかのように勘違いされている。電通社員の自殺に端を発した「働き方改革」然りだ。某大学医学部の女子や浪人生の受験不正操作事件についても最近では扱われることはほとんどなくなった。

マスコミは何かあると「報道の自由」を持ち出すが、”報道しないこと”も”報道すること”と同じくらい影響力は大きく世論を動かす力になる。報道されないことはその存在すら認められないということになる。大きな災害が起きると大騒ぎの報道の後でスパッと忘れたように知らんぷりされるいわゆる「事件の風化」というやつだ。もちろん人間は、特に日本人は昔から嫌な記憶はスパッと忘れる特性がある。嫌だった記憶に引きずられていつまでもクヨクヨしていたくないということもあるのかもしれないが、嫌だったことを早く忘れようとする。だから事件も”風化”が早い。

それなら事情は分からないでもないのだが、そこに権力が報道を縛っったりはしていないのだろうか。報道は権力におもねていないのか。真相はまったくわからない。しかしその裏にうごめく「報道の自由」という名のもとに世論の操作が行われているとしたらいかにも不気味なことだ。一部の人間がそんなことを行うことは今でも簡単にできることなのだ。